分泌ハウス
インターネットライターとかブロガーって、雑誌に寄稿するタイプの古豪評論家からしたら「文筆家」って絶対言いたくないタイプの人種なんだろうな〜とSNS論みたいなモノを読むと感じますね。
どうもご無沙汰しております、無免青空先生です。買ったことがあるノートは戸田真琴と小泉悠の投稿です。
僕はインターネットへの投稿を「文筆」というより「分泌」だと思っていて、食ったモノをそのまま出すというよりも旨味をこっちで抜き取って要らんモノをゆっくり棄てる感じでやっています。なので、ツイートもブログも大体汗や尿みたいなものです。
そんな薬にならない分泌物を投げ入れるこのブログは、さしずめ分泌ハウスといったところでしょうか。分泌ハウスは今日も無駄で一杯です。
☆雑記です.........。
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服なんて好きなモノを着ればいい。趣味に口を出すほど服飾論に通じてはいないし、増して、意見に重みを増せるほどの箔など俺にはついていない。
しかし、重要なことがあるとは思っていて、それは無駄な情報を減らすことだ。
別にイケメンになれとも言わないし、かと言って芋を肯定する気もない。一定レベルの服は着るべきだと思う。何か主張したいことがあったり、成すべき目標があるのならば尚更のことそうするべきだと思う。
基本的に、漫画やアニメのメインキャラクターにクソブスはいない。そういうクソブスを出す前提で作るか、また世界観がブス世界でなければ、大体のフィクションは顔がいい人ばかり出てくる。
何故か。ブスは無駄な情報だからだ。
ブスを見るのが不快なのは仕方がないことだ。それは人間の本能なのだ。本能であるが故に、ブスが何か台詞を言っても(“こいつブスやなぁ〜........”)が最初に来てしまう。肝心なのは台詞のはずなのに、顔面のせいで台詞の重みが無くなってしまう。どれだけ感動的なキスをしても、ブスがしたらブスであるという認識に全てが奪われる。
[1.1.1] あらゆる場面において、
ブス>情景+台詞+予感
が成立する。
したがって、モブになることは実はめちゃくちゃ得策なのである。無駄な情報を与えず、自分の伝達したい情報を高い純度で伝えられるので、オタクこそ逆に量産型になりに行くべきである。雑誌でそれっぽいものを見繕って、GUでそれっぽい服を買って着るべきである。「ケーッ!量産型がッ!」とか言わず。
ここで大事なのは、間違ってもストリートが似合うとかそういう勘違いを起こさないことだ。
たまに土日にどこか少人数で遊びに行くときに着るとかなら、それは趣味の範囲だからいいと思うが、日常的に着るとかそこまで行くと自意識過剰である。お前はカッコよくない。自覚しろ。お前は顔が良くなく小学生の頃にバスケクラブで活躍できなかったから無様にチンシコアニメを見ているんだ。ババババレンシアガじゃなくて放て!どどどーん![TVアニメVer.]フェイスだろうが。
したがって、ゴテゴテすぎず、しかし芋過ぎない、ちょうどいい量産型ファッションをしていくことが大事である。そうふと思った、ルッキズム議論を見て。
※なもり先生のキャラデザでリリスパの次に好き。
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かつて、駅からのアクセスはいいものの、人間世界から割と切り離されていた文化的孤島みたいな高校に通っていた。その頃は女とかの本質に触れずに済んでいたので、女性声優のワチャワチャを純粋に他の世界のアニメみたいな感じで見ることが出来ていた。それをうけて女性声優オタクっぽいこともしていた。
まあ高校生活が終わると同時に、それも終わるわけだが。
女性声優は人間なのだ。残念ながら。
女性声優はやはりハンバーガーを食い、そのハンバーガーで形成された肺で呼吸をし、そのハンバーガーで形成された喉を震わせて声を出している。収録後に口を開けさせて臭いを嗅げば人間っぽい酸っぱい唾液の臭いがする。もしかしたらハンバーガーの臭いもするかもしれない。
いくらアニメで萌え絵の女の子が可愛いお弁当を食していても、声優はデブ御用達コンビニパンとかカエル卵シロップ紅茶とかを摂取した喉でアフレコしている。そういうものだ。いや、分かってはいたものの、その事実に直面するのが嫌でずっと逃げていたのだ。
なんか、萌え絵のイメージを現実の動く肉塊(女性声優)が「奪う」という構図が成立しているわけだ。声優がニコ生に出るとき、映像がないのに声を当てているキャラの台詞を挨拶前に言うと、まるでそのキャラが言ったかのような扱いを受けるだろう。アレなんかまさしくそうだと思う。
(奪うって言い方は良くないっしょ、と思うかもしれないが、ソフトな書き方をすると輪郭が曖昧になるのでキツめに描写している。)
そういう「イメージの略奪」が横行しているこの時代に逆境するために、原作コミック・ノベルをよく読むようになった。ただただアニメ→原作だと、声のイメージがアニメ基準になるので、様々なボイスを頭でシミュレーションしながら読んでいる。これが私の逆行である。ささやかな文化的反抗である。
二次元は精霊であり、偶像であり、崇拝だ。そのイメージを奪う、というのは「私は神の子です」と民衆に吹聴しまくる怪しい宗教家とやってることが同じである、と私は思う。
まあなんでこんな話になったかは大体見当がつくのではないか。ヴァーch.........はい。
ヴァーチェじゃねえよ。
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夏は怖い話が流行る。ウェイは怖い話が大好きなのだが、オタクの好みとウェイの好みはだいぶ違う。
簡単に言えば、ウェイはほん怖、オタクは世にもなのだ。
現在のほん怖はドッキリ番組だ。和風ホラーではなくUSスリラーという感じになってしまっている。ゼロ年代のほん怖はいい味を出していたのに、今となってはラスト2分前にバーン❗️うわーッ❗️というのがテンプレになっている。
対してオタクは世にもが大好きだ。ジワジワホラーこそ鉄板!幽霊に頼るな!怪異万歳!と和風ホラーっぽいモノを崇めてインターネットパレードしている。最近もなんかズーム飲みしてたら変なの出てくるやつ流行ってたね。
これらはグループでの笑いの感じがよく滲み出てる。ウェイさんは円になると手を叩きながらゲラ笑いする。対してオタクさんは円になると肩を上下させながらフヒッフヒヒッと静かに笑う。そういう文化差がホラーの趣味嗜好にも表れているのだろう。
まあ俺としてはホラーを共有する趣旨がよくわからないが。おもんねー話してクソみたいな雰囲気になるなら、まだスポンジボブをクソデカ音量で流した方がいい感じになるだろ、と思ってしまう。
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以上。ノリで書いてるから意味を期待しないでください。
なんかもう一個ネタがあるけどそれは9月とかに上がるのかな。わかんないけど。
fin.