セルトキニォセの言葉

ニコシアからリヨンへ亡命した政治活動家、オシワオ・セルトキニォセの言葉を発信します。

素朴

 

手をつけられていない自然は美しかった。

鹿の鳴き声は高らかに響いていたし、コンクリートを割る大地は力強かったし、煩いと感じる虫も懸命に生きていることは伝わった。

そういった、縫われていない天女の衣みたいな状態の自然を見て心を癒すことは、現時点での技術では人工物で可能には出来ない。残念ながら。何も手をつけていない自然は何も手をつけないことでしか得られない。

 

対して、素朴な人間というのは、手をつけられていない状態の人間ではない。というか、素朴な人間性は、鍛錬無くして獲得できない。

「素直で飾り気のない」という性格は、言葉こそ簡素ではあるが、人間の本性に反逆したものだ。人間は放っておけば生存本能から攻撃的になりマウンティングしようとするし、生殖その他のために飾りを山盛りに持ってきて自らの内面に貼り付けようとする。その欲求に抗わねば、素朴な人間にはなれない。

 

「素朴」というワードの二義をこうして見るだけでも、人間は大いなる自然と違って放置すると穢れへ向かうんだなぁみたいな反人間礼讃みたいになってしまうのは、ただ単にウユが逆張太郎だからだと思う。がしかし、たとえそうであってもいい。僕は素朴な人間に魅力を感じるし、そうなりたいとも思う。自然の中から生まれた一匹の猿として、大自然のような素朴さを獲得したいと願っている。

 

以上。増刊でした。都市部の夏は暑いけど、その分サイダーが美味しいですね。今年限定の復刻モデルが好きです。