セルトキニォセの言葉

ニコシアからリヨンへ亡命した政治活動家、オシワオ・セルトキニォセの言葉を発信します。

「G」eki-kimo 「W」arning

ゴールデンウィーク、何して過ごしましたか。

僕は読書と課題と、ここに適当に思ったことをメモして過ごしていました。

まあ今更ですけど、ここに書いてあること全部間に受けて屋外でコミュニケーションしないでくださいね。僕はハレとケくらいしっかり使い分けられます。

それではどうぞ。

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・カルチュアル・エリートに憧れて(ない)

幼少期、とにかく、特異な存在だという証明が欲しかった。

初等教育の最初の方はその欲求が本当に強く、マジックインキで腕にめちゃくちゃ絵を描いていた。そのまんま人生やってたらタトゥーだらけだったんだろうか。小卒までにやめてて本当によかった。

その転換先として、渋いカルチャーへの憧れがあった。映画と親が目を通さなかった日経スタイルの影響が大きい。あと母の友人から譲り受けてた音遊人、それに始まるカルチャー雑誌読みにも影響を受けているんだろうか。気付いたら、

グレーのエルメネジルド・ゼニアのスーツが好きで、愛読書は『ウェルテル』、好きな画家はカイユボット、誕生日に本革コーティングのシガーケースを注文(却下されました)

そんな小学校高学年になっていた。あらためて書くと痛いね!

そしてそのまま中学に進んで受験し、高校もそのノリで進んでいった。めちゃくちゃ臭いオタクだったのはそういうルーツがある。

.........。

まあでも、自分を自分たらしめるグッズを他力本願で入手するのはダサいですよ。製品化する時点でそれは大衆とまでは言わないけど集団なんだから。オーダーメイドで及第点、自作が一番。俺はそこを降りて、所持物や服装で自己表現するのやめちゃった。あなたはどう自己表現する?

 



・お前がそうであるように

正直、本気でお前の言及にのめり込んでいる人間なんかいない。まあ、(ここにタイトルを入れる)。

そう、だから必要ない。①自分を偉大に見せること、も、②誰かに配慮すること、も。

弱さを受け入れていきましょう。強く見せたところで、あなたの頑張りは数字でしか評価されませんからね。俺はアウトオブナンバー。狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う。

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・未成年○○の本当の恐怖

飲酒や喫煙、運転、ポルノもか。ドラッグはこの国だと青年してもダメだが。とにかく未成年でやっちゃいかんものが多い。

今は成人したのである程度この問題について冷静に触れることが出来るが、今よりも早い段階のときは本当に意味がわからなかった。所詮、法律の意図は治安維持。脳の発達だなんだ言うが、医学だってサンプルからの帰納。俺は別に衰退したところで、大企業の御曹司でも医院の跡取りでもねンだから知らねーよくらいに思っていた。

が...........................。

良くも悪くもこのことについて改めて考えさせられたのは、大学前半でバーに狂ったように通ってた頃だった。あそこで快楽物の本当の恐怖を知った。

未成年から酒をやると、酒のない人生が成立しなくなる。未成年からタバコをやると、タバコのない人生が成立しなくなる。未成年からポルノにハマると、ポルノのない人生が成立しなくなる。

この恐怖がわかるだろうか。義務付けられていないのに、サブ義務のようなものが発生して、生涯をかけて快楽物の生産工場に納税しないと生きていけなくなってしまうのである。

まあ一番タチが悪いのは、こういう快楽物は嘘をつかない。地元のツレも、ある時は親ですら嘘をつくが、ビールもタバコもコカインも嘘をつかない。快楽は何よりも正直だからだ。

だから、未成年者は快楽物に依存してはいけない。たしかにソイツは嘘をつかない。だが、嘘の危険性まで含めて人間を愛することが、人生にとってはエッセンシャルなことなのだ。

 

ハーァ阿呆くせ、パイプに火をつけます。



・暖かい目

異常者であることを自認したことで、異常部分「無免青空先生」と人間部分「Iさん」をどうにか分割することに成功した今、他人の交際や社会的成功に劣等感を本当に抱かなくなった。

それは多分、自己像の形成に「オタク」という曖昧でなんだかんだ言って大衆迎合的な概念が絡んでいたことから解放されたからだと思う。敗北を善とする相互監視的カルチャーが重荷となっていたが、それが性に合わないことを受け入れ、呪いが解けた。その結果、誰かが輝きを放っていても素直に拍手できるようになった。

だからといって意志の勝利ばかり褒めそやすバカマッチョになったわけでもない。何をどうしようがそいつの勝手だし、そいつが幸福であれば俺はなんでも良い。とにかく知人に願うのはそいつの安寧だ。「オタク」であるために苦い汁を飲み続けるマラソンを続けるより、本当に望んでいることに向き合い、その光明に進むこと。それを望んでいるのだ。

(自分で「苦い汁」だと思わなければ別に飲み続けてもらって構わなくて、とにかく幸福追求をしてくれという話だ。)

それが孤独に水族館のオウムガイを見てヨダレを垂らすことでも、自分の別性クローンと系外惑星について共同研究することでも、性器を切除することでも、俺としては構わない。自らの幸福に一本道を見出せ。

そう願って、いますよ。



・輪の外

読者各位の『人間失格』で一番印象に残っているシーンは何処だろうか。

僕のそれは、序盤の食事シーンである。

(略)

そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事の時間でした。
 自分の田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳ぜんを二列に向い合せに並べて、末っ子の自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質かたぎの家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分は食事の時刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種の儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛かみながら、うつむき、家中にうごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。

(略)

このシーンが一番共感できる。誰かとメシを食うことについて、知識導入(かつて「会」と称してやってたこと)とコミュニケーションゲーム以外の意味合いで価値を感じたことがない。メシの味を知るなら孤独に無音で食うのが一番わかるに決まっているし、その過程に会話(しかも食でなくつまらない身の上話)など必要がない。映画館で上映中にバカ話する輩が何処にいる?

まあ、つまりは他人への注意がとにかく大きく、いつも輪の外にいるという話だ。しかもそれが健常者として生を受けた俺の話だというのが辛い。

多少の疾患があれば逃げ道があるし、何より周囲が嫌々ながらも理解を示す(フリをする)。しかし、こちらにはそのような逃げ道が一切ない。逃げ道はないし、しかも口がよく回るガキだったから、親戚集合で話をさせられるのは決まって俺の役割だった(兄は本当に無口だったので)。

結果、“コミュ障(一般用法)”ではないが「障」である無免青空というパーソナリティが形成された。

それを理解してくれている知り合いには感謝していて、その上で交流を継続しているその懐の深さには本当に驚かされる。しかしながら、そういうことが出来る連中だからこそ人間好きの度合いが強く、その集合頻度や人間らしさには先程の感謝同様に恐怖を抱く。特に、同一のポーズを集団で取って、それを写真に収めるというアクティビティをやっていっている様を見ると、壁を感じざるを得ない。否定しているわけではないが、僕は馴染めない。

ンイァーーーー‼️偶に、ごくたまに、他人の集合を見てると臓物がビニール袋に入ったものが電波音を相互に発信しているように見える。おかしいのは俺なんだろうか。

ネットの海にこの書き込みを流すので、この現象を確認した人間は今すぐ社会のために命を断絶してほしい。

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以上。最近目が悪くなってきてる気がする。

筋トレ以上に立体視に気持ちが向かない。キツいね、習慣づくりは。

あっっっっっっつい温泉行きたすぎる。45℃以上の都内の温泉情報を待っています。

膝壊してからザーメンが薄いよ〜ドラえも〜ん.........。

[終劇]
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