か雑記り刀
【ブレスオブザワイルド】風斬り刀の入手方法と性能【ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド】 - ゲームウィズ
原神やってる?
俺はね..........やってないよ。
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人間の味を感じる部位
男は背中で語る、という言葉を生まれてから今まで耳タコレベルで聞かされてきた。黙って仕事をして、背中で語るんだ。手桶を持ってる奴が感情を汲み取ってくれりゃいい。
そういう親父の刷り込みが効いているのだろうか。僕は背中フェチなのだ。
人間としてのダシが一番出ている。何故かはよく分からないが、俺よりも十分にチビなヨボヨボの爺ちゃんでも、逞しい背中を見ると若干涙が出る。活発な子供の背中は光り輝いている。逆に、チャラチャラした格好の男の背中は濁っていてよくわからない。
他人のばっかり言ってお前はどうなんだ。そう思った読者も一定数いるとは思うが、俺の背中はボツボツだらけの汚い背中だ。例えるならどでかいアズマヒキガエルのような。
そんな俺でも、カッコいい背中のヤツになれるだろうか。
溜め息を一つ
なんかビジネス書にイチャモンつけるのが上手い動画を推薦されて、そのチャンネルのちょい前の動画を漁ってたらコレが紹介されてた。
マジで読んで欲しい。僕が気に入っている本です。
空っぽ
最近、自分は人間苦手ではないのでは?と思ってきている。単純に、相手の「値踏み」に敏感なだけだったという話なのでは?と思うようになったからだ。
そしてそれは、自分だけではなく、様々なコミュニケーションに難を抱えるオタクに言えることだと思う。何故なら、「値踏みが怖い」という感情は、売り物に難を抱えている人間が抱くものだからだ。
そんなことを言っても、人間はだいたい2〜3個くらいは個性を持っている。おおよそそんなものは、家族であったり家庭外の知人から伝播したものに過ぎないのだが、ムラ社会性が薄まった今ではその個性が被る確率は薄い。それはそれで共有する楽しみが薄まるので、幸か不幸かよく分からないが。
個性は売り物になる。少ない方が売れやすい。(その話も100%信用できるとも言えないけれど)
選択肢過多(情報過負荷)とは? このバイアスは、本当か間違いか? | 旅レンズ
その個性をより集めようとして、数が多くなって、一つ一つの濃度が薄くなって売れなくなってしまっているのが「虫」とオタクの間にいるタイプの人間なのではないのか、と思う。
属性は盛らないに限る。
「本当は教えたくないけど」
めちゃクソいいコンテンツだけど、教えたくねーな..........ってものがある、という話を聞く。
僕の場合、TwitterのFFであればない。それ以外が対象なら割と考え物だが。
「滅茶苦茶良いんだけど教えたくない」の原因というのは、いくつかあって、
- 内容が軽視されてコミュニケーションツールにされたくない
- 自分が好きだと思ったセンスを否定されたくない
- 自分よりも解像度が高い感想を言われて自己嫌悪に陥りたくない
という感じだ。1と2は身内のトレーディングが間違っているので環境構築を練り直すべきだし、3に至ってはテメーの詰めの甘さが原因なので、精神削っていけというところに話が落ち着く。真っ当に人間関係を作れる人間は紹介コンテンツで出し惜しみをしない。All-C Strategyを取れない人間関係なんかやめちまえ。
あと他人と合致するセンスなんか捨てろ。
人を愛したい
- 上から目線でウェイ系や体育会、頭が悪い奴らをメタりたい!
- チャラい奴らに「正論」を叩きつけたい!
- 女性や老人に上位苦難を叩きつけて言論を停止させたい!
..........など、嫌悪や憎悪を頻繁に引き出しから出し入れしている人間が多い。もはやミニブログでなくなったTwitterというSNSが、ある種そうさせているのでは?ということを最近思うようになった。
憎悪することで「逆に」愛そうとしているのでは?
嫌悪や憎悪は、言及するだけでディテールが再起されるため、安上がりで覚めにくい。ストロング系酎ハイみたいなものだ。であるので、本当に関わりたくない場合は、ある程度の知性がある人間は「諦観」へと変換するのだ。
しかし、あえてインターネットで嫌悪や憎悪を発露するというのは、オルタナティブな愛なのではないだろうか。意識したくて憎しむ、何といじらしいことか。かわいいね。
バカが。
自殺と自己殺人
甘ったれは「自殺したい」などと安易に言う。なんとカジュアルな語の使用か。
自殺というのは、あまりにもカジュアルな言葉である。半数以上が実現欲求なくしてその語を用いる。
美学や意志を内包した「自己殺人」というものが少ない。そのことを思い、社会を憂える。
社会に余裕がないからか。それとも、「自殺」としてカジュアル化しすぎたが故のリフレーミングの弊害か。どちらにせよ、生命の美しいフィナーレとしての自己殺人という概念がその波の中に消えゆかなければ良いのだが.........。
歯ブラシ
やっぱりシステマの超極細毛が一番良い。歯茎の隙間までモゾモゾ擦れる。夜寝る前に磨いて朝起きたときに一番まともな口で起床できる。
ちなみに歯磨き粉は生葉が好き。
才能論
才能論は好きですか?
俺は大好きです。それこそ幼稚園児の鼻ほじりクソガキ期からずっと。
天才。
なんと甘美な響きか。どうやったらその果実に手が届くのかを、ずっと考えていた。そのために高校はエリート学校に行きたかった。凡人が戴冠される可能性が欲しくて。
結論として、才能の何たるかを知るために天才エピソード本などを幾つか読んで得た教訓だが、
- 名作が作れなくても定期的にアウトプットしないとダメ。大体の天才は習作がめちゃくちゃ多い。
- 名声あっての「天才」だから誰か仕掛け人がいる。評論家とか。
- 天才には「天才」って言われて鼻を伸ばす暇がない。アウトプットで大忙しだからね。
- 集中力がとにかく強いのでつまらない天才論をこねて適当に時間を潰さない。
という感じだ。
俺、何やってたんだろうな。今まで。
許容される狂気
自分は、本当に頭がおかしいんだろうなぁ、みたいなことをごく稀に思う。どういったことからそう思うか、そんなものは書くつもりもないが、そう思うことがあるんだよ〜ということだけ覚えてもらえばいい。
そうして、それを踏まえて、誰かに見られるでもなく狂うことがリラックスに繋がることを、再認識する。
Twitterだとか掲示板だとか、そういうコミュニケーティングツールに精神を3割以上喰われてる奴あるあるとして、「発狂は面白くしなければならないという思い込み」がある。だからコミカルにやって、誰かのウケを狙って、笑ってもらうのだ。
悪魔の辞典【書評】ブラックユーモアのバイブル | 出版TIMES
ECCENTRICITY【奇行】名 他人から自分を区別する一手段。あまりに安あがりなので馬鹿がこれを使い、おのれの愚かさを際立たせる。
でも、それでいい。それを間違っているとは思わない。人間社会のコミュニケーションシステムとしてよく出来ているからだ。
それでも、笑ってその事実を呑むのは難しい。笑ってもらえる腹踊りなど氷山の一角で、水中には厄介なものが多く沈んでいるからだ。朴訥な人物に憧れるキッズとしては、一刻も早くこの氷山を溶かしたいものだが、この「許容される狂気」というものの気持ち良さに未だに縛られており..........。気持ち良ければ良いほど、狂気を小出しにする分、根本的な治療が出来ずに奥底の狂気を出ないように押し込め続けることになる。終わることのないバカ踊りマラソンを未だに走っている、全てを曝け出すことなく。
しかし、無自覚というのは恐ろしい。よく出来たシステムほど構成員は何も知らずにシステムに供物を捧げているものだ。誰かのバカ踊りを許すということは、角を矯めて牛を殺すことに繋がるのだが..........。
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以上。
雑記芸人って思われるのもアレなのだけど、あんまり長いとキツいので出しまくってる。単発の読書レビュー企画も現在進行形でやってるので12月とかまで待ってほしい。
それとは別に今期が始まった。来週からマブラヴ見る。