セルトキニォセの言葉

ニコシアからリヨンへ亡命した政治活動家、オシワオ・セルトキニォセの言葉を発信します。

雑記A

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ザッキア、っていうインテリアがあるんだって。

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それでも僕は腐らずに

 リメイクが近日に放送開始する。Twitterではルミコに脳を書き換えられた中年男性達が日々絶叫し、キノコからタケノコに移民をする者まで出ている*1

 それで良い。別に否定するわけではない。けれど、どこか疎外感というか淋しさを感じる。

 ラムちゃんガチ恋も、長門が嫁だったことも、レムがマジ天使だったことも無かった。別に逆張ってるとかではないので、可愛いし魅力的であることは理解できるけども、根を張らないというか、人気キャラクター達に対して執着にまで到達するほどの意識を向けることはなかった。

 それが悲しくて仕方がない。一応は社会適合ワナビーであるから。社会性を全部捨てられるほどの高い計算力もハンディキャップもないから、社会性に憧れて、ネットの天空に光あいながら群れる星空を仰ぐしかないのだ。

 だが腐らずにやっていく。俺は好きなものに誠実であり続け、かつヒロイン達への理解を怠らない。世相の理解だけでなく、社会とのリンクとして。頑張らなければ繋がれない異邦人でも、繋がるポイントがある以上はそれを使わぬ手はない。

 しかしまあ、こんな人間に、誰がしてしまったのだろうか。不思議。

 

「大人」と鍵垢

一応は、社会に出る感じになった。

と言っても、御社確定ではないので、まだまだこれからも暇はなく忙しい感じにはなるのだけど。

そういう状況だから、大人とは何か、という小学生の時によく考えていた問いが頭に戻ってくるようになった。鼻ほじりキッズの頃よりは、システマチックに考えられるようになり、事例も多めに持っているので、20代無免の結論は比較的恥ずかしくないものだと思う。

今のところ、墓まで持っていく秘密が10個以上ある人間こそ「大人」と呼ぶに値する、というのが僕の考え方である。

誰にも漏らすことのできない秘密を抱え、しかしそれを察されることなく平穏を演じる。それは忍耐力がなければ出来ないことであり、子供には難しい。子供は秘密を誰かと共有したがるからだ。

だが、子供のうちに秘密をバラして痛い目を見る経験を積むことで、「ヤバい秘密は誰にも喋れないんだ」という危機感を身に付ける。そうして子供達はネクストレベルに進む。

それを大人というのではないか、と僕は思う。

しかし、この「秘匿する忍耐」と相性が悪いのが鍵垢である。鍵垢では一握りの人間にのみ秘密が明かされ、そのプレミア感による結束で、少人数の相互親愛度上昇現象が起きている。秘密が愛を育む。その結果、愛に飢えて、お仏壇のお布施の如く重要な秘密までも持ち逃げしてしまう。

だから、幼少期から鍵垢というツールのある現代の若者は、大人になりにくい。承認欲求と忍耐のバランスが取れず、いつまで経っても子供になってしまう。肝心なことは、喋っていい秘密のボーダーラインと、その量であると、最近なんとなく思うのであった。

 

-ここまで2022年秋、ここから2023年5月-

 

面倒くさがり

意見を持って、対峙するという行為が出来なくなった。討論インポテンツになってしまった。

自分を第三者目線で見すぎて、自らの非を分かってしまい、そこを飲み込むことを最優先にしてしまう。相手に威厳を見せることよりも、自己の成長を最優先にしているので、自分勝手ではあるが、威厳は保てないのでカッコいい自分本位では無い。

ダサい。

まあ、自分が100-0で正しい状況をセッティング出来ていない時点で既に負けているようなものなので、会話が始まるときに既に雌雄が決している。だから、討論に勝ちたければ、セッティングからスタートせねばならない。本気で勝ちに行くのなら、そこをクソ意地悪くネチネチと準備すればいい。

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コミュ力と孤独

大体の人間と会話できることと、大体の人間と通じ合えることは、決してイコールではない。

通じ合えない。

上下でなく、左右で通じ合えない。

頭が良い・悪いじゃなく。文化資本の有無じゃなく。マナーを守る守らないじゃなく。

単に、オタク的ネットリ感とか、気持ち悪さの方向が合うことが、少ない。この問題は、ありふれているものだとは思うのだが、深刻さは個人差があり、症状の出る年代にも差があるので、癌に似ている。理解を促してどれだけの非当事者が納得するか。当事者同士が話をしたとして、相手からどれほどの強さの同意が得られるか。芳しい答えではないだろう。

共感は、痛みが一番早く運んでくるので、通じ合う最速の手段は痛みを共有することだ。その最たる例が婚姻に伴う同居であり、好き嫌いは問わず二者は通じ合うのだ。そこに、コミュニケーション能力の程度はあまり関係しない。何なら、コミュニケーション能力が高い人間は痛みを軽減するためにそのパワーを使うので、共感のデリバリーを遅延させる可能性すらある。

なので、実はコミュ力が高い人間ほど共感から遠いのではないか?とふと思ったのだ。

けど。

別にそうでもないだろ。

いや、まだ早い。もっと考えろ。

見て、考えて、サイクルを回せ。回せ、回せ、回れ、回れ、回れ、

(サビ、「勃起して止まらないように」コメがつくのがウマ娘のたぬき動画だけって何なんだよ。)

 

狂人

所属団体と全く関係ない勉強をすると、マジで頭がおかしくなるので、そういうのはちゃんとやった方がいいと思う。

マジで。

 

「諦める」とは

こう見ると、「潮時を悟る」くらいの意味でしかないんだなと思う。

諦めることと投げやることを、同一視するのは、内容派じゃないね。

寝ろ。

 

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E5%258D%2591%25E6%2580%25AF%25E3%2581%25AA%25E3%2582%25B3%25E3%2582%25A6%25E3%2583%25A2%25E3%2583%25AA

 

俺は、一生コウモリなんだと思う。そうやってヒラヒラと都合よく立場を変えるし、芯が無いから節操なく齧っては、立場を増やしていくんだろう。

でも、とりあえずは裏切ったことにならないようにしたい。そうでないと、


いつか食われてしまうかも、しれませんから。

 

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