山雑記豊子
最近はアナグラムジェネレーターみたいなのを弄って
dream catcher → accreted harm
みたいな文字列を生み出してニヤニヤしています。
読書・学習に時間を吸われてたから全然雑記を書いてなかった。
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怪物の世界へ
人間として生きていれば、イジメは不可避だ。瘡蓋は剥きたくなるし、目脂は取りたくなる。弱者相手の中規模集団のイジメとはそういうものだ。なんかフランスではいじめっ子の方にメンタルケアがつくとかなんとか言う奴がいるが、最も罪な存在というのはいじめっ子を生み育てた母親、次に父親、そのまた次は雰囲気に迎合したサイレントマジョリティだ。だから、根本的な解決をしたければ、いじめっ子の母親を学級会で公開処刑するのが良い。
けど、そんな話をしたいわけじゃない。俺は「怪物になれ」という話をしたい。肉体派ガハハ男でも、理論家モヤシでも、ダサいサイレントマジョリティでもない。
✝️👁MON💅怪S物💅TER👁✝️に。
鍛錬とか智慧とか、そういうのではなく、単純なサイコ野郎として道徳を蹂躙し、理論の線路を爆破する。その怪物を核にして外側を運動能力や知的能力で包むのがいい。
内側の怪物も、外の能力同様に餌を上げないと痩せ細っていくので、適度に餌やりをするべきだ。どう餌やりをするかは各人の✝️👁MON💅怪S物💅TER👁✝️次第なので、こちらからヒントを与えることはできない。だが、確定して言えることは、健康であればあるほど狂気の解像度が高くなるので、外側の能力育成は内側の✝️👁MON💅怪S物💅TER👁✝️保全に有用であるということだ。
どうしても✝️👁MON💅怪S物💅TER👁✝️の世界が分からなければ、毒吹き矢でカラスを撃ってみればいいのではないか。何でもいい、何だっていい、✝️👁MON💅怪S物💅TER👁✝️をもう飼ってる奴も今後✝️👁MON💅怪S物💅TER👁✝️が目を覚ます奴も、俺も言葉でどうにかなるわけじゃないからな。
キャラクター設定と人数制限
アカウントを増やしたい気持ちがある。それは鍵垢とかではなく、
- キチュグヮイ用(①)
- 冷静に考えて筋道立てて言葉を並べる用(②)
という感じだ。まだ実行していないのは、それを分けたところで①と同じテンションで②を見られれば何を言っても通じないからだ。所詮は無免程度の知能で知的ぶって何言ってんだ文カスwとなるのがハナから見えている。
とは言え、現状維持では運営サイドからの感触は良くない。気持ちよいキチュグヮイと冷静言論は、やはり同一(と他者から認識される)パーソナリティではなし得ない。
となると、女性声優のTwitter投稿でよくある(スタッフ)みたいなやつが丸いか。末尾に一定のパーソナル記号を置くことで、その記号と文の感触を結びつける魔術だが、アレをどうにか応用するのが現状では最善策なのかもしれない。
めんどくせ〜〜〜〜!!!!!!!
僧伽
普通は、何の分野でも学習が進むとゼミのようなものを組みたくなるものだ。議論による学習深化はユダヤの歴史が証明している。禅問答もそうだ。そうして教団となった彼らは、個人の壁をすり抜け、知能が連結して複数人分の思考エンジンとして機能するようになるのだ。
だがまあ、単純な知識欲と人間嫌いと研究への無興味から、僕は全くそういう教団に入ることも、組織することもできない。いつまで経っても悟りへ辿り着けない。菩提薩埵への道が遠い。純粋な知の伝達であれば、やはり書簡というのが最も純度が高く、次にまあ電話、避けるべきは会話だ。
スピードこそ速いが、理論の外にある感覚へ訴える刺激で、議論をうやむやに出来てしまう。それは外見、それはジェスチャー、それは声色、それは..........あるときは暴力。対面というのはそういった、知的対話を妨げる危険を抱えているのだ。
知的対話の終着点は改善であり、勝敗ではない。俺の方が賢い、みたいなモチベで挑むお喋りは、知的ではない。そういう点では、決闘があった方がいいのかも..........良くない。強い奴が聡い確率は低いので。
布教と信心
オタクの根本には「盲目」がある。物好きとオタクの間には盲目性の壁がある。
オタクの視野は狭く、その結果話題も狭い。道が狭ければ、逸れることに対しての恐怖を覚え始める。その道が連れて行く先が崖であったとしても。
だから、オタクは他人の布教を受け入れない。普段「どうせ俺なんて」と自嘲はするが、たまたま進んだ道に対しては絶対の自信があるのだ。どれだけ対等なオタク関係であっても、こと布教ということについては教皇と乞食みたいな立場にまで捉え方が変化する。
その信心が智を遠ざける。
まあだからってマイナスなことがあるかっていうと、別に..........という感じだけど、この「智」みたいなものは単純に俺の趣味だ。バカげた趣味だと思う。だからTwitterになんか書けない、バカにされてしまうからね。
これも吸引分娩か
もう10年も経過して、高校時代に声が欲しかったキャラの半分以上がボイス有りになっていた。
素晴らしいコンテンツに育っていくと同時に、声優キッズたちはアイドル現場や現実コミュニケーションに飛び立っていった。見守る人達が現場を守りつつ、新たなキッズ達がチケを握って楽曲アクティビティに胸を躍らせる。この循環と保全の生態系はきっと今後も続いていくだろう。素晴らしい人間のコンテンツであると思う。
キャラストーリーも、楽曲もいい。声優自体もコンテンツとして周辺活動が盛んだ。それだけではなく、二次創作も元のアイマスの土台があるから広大かつ寛容だ。本当に良い。
オタク性を一定量保持しながら、ここまで社会的で人間的なコンテンツになっていって、感動すると同時に胃酸が逆流するほど辛くなってしまった。
返してくれ。俺だけが雪美を好きだと思ってた時期を。琴歌の声が俺にだけ聴こえていたあの頃を。カプの可能性が残されていた時代を。
返してくれ。ライブに行って空気感に飲まれてしまう前の感覚を。曲のイメージが音源だけだった日々を。
どれだけ逆張っても、感覚や本能はホモ・サピエンスである以上は無視できない。残念ながら、その分野に異常がないあたり、僕はどうしようもなく人間なのだ。僕の✝️👁MON💅怪S物💅TER👁✝️性は発想と行動にこそあって、感覚は人間的なのだ。
だから、戻りたくても僕はあのコンテンツに戻れない。吸引分娩されて、高校時代のような中途半端な真人間なり損ない状態になってしまう。それが怖い、たまらなく。
人間美術品
やっぱり死体の写真が一番美しいと思う。完全な状態のまま時が止まる不自然が異常な美しさを生むからだ。そういう点では、老化を前提としないイラストはみんな死体だ。
かつてのガリレオの再放送で、上のリンクに載っている4話が放送されなかったらしい。僕はこの話の全ての映像を覚えていて、同時にめちゃくちゃ勃起したのを未だに覚えている。それは、豊満な肉体を持った女性の死体があまりにもエロティックだということに、人生で初めて気付いた瞬間だったからだ。
生きている以上は、僕らは鶏や豚と同じで、糞も垂れれば菌だって飼ってる。その穢れは精神に反映されている。だが、死体には精神がない。物質的穢れこそあれど、精神がないというだけでエロスは最大限にまで放たれる。
人間美術品になるのだ。
なので某コンテンツのオルタというシステム(?)が苦手。
Beatcats
もともとミュークルドリーミーのCMで出てきて、そこから1stシングルを買っただけだった。普通に1stの「Beatcats」は、曲としての出来が良すぎる。MVも雰囲気があり、アイドル(?)コンテンツとしては久しぶりに衝動的な出会いをした。
そこからは「1st以外はそんなに刺さらなくね?」という時期が長く続いたが、割と気軽に他の曲も聴いていったらどハマりしてしまった。ただ、雑記に書くということは、ただただハマったという話では済まなかったということで..........。
Colorful Daysとかが顕著だが、このグループの曲は結構地上ドル(坂道除く)っぽい。
なので、Beatcatsがワクチンになって、NiziUなどに対する逆張りが薄まっていった。売れてるドルの音源は作りが良い。そこを評価するのに逆張りというのはどうしても邪魔になってしまうので、割とありがたいワクチンになってくれているのだ。Beatcatsが。
だが地下ドルやコンカフェへのワクチンは未だになく、現実女性のワクチンもなかなか良いものがないので、ヤレ困ったものだ。
数理と現象
この2枚が同一存在か?と言うと、そうです!とも、違います!とも言い難い訳で、そういう話だと思います。
例示した絵についてはこれを読んでください。
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久しぶりの雑記は..........楽しい。
誰かこれ買ってください。
では。