アフメド・雑記・ヤマニ
サウジアラビア初の弁護士、1958年って遅すぎるだろ。でも冷静に考えたら、
弁護士という職業そのものがシャーリアに存在しない職業であるため裁判官(カーディー)や法学者(ウラマーやムフティー)と比べるとその地位も社会的尊敬も低く、法律家としては下位の職業であると認識されている。
だってさ。アラブって、チョーS(Shari'a)だよな!
例のごとく雑記群です。
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鳴き声
虫は鳴く。「虫」も鳴く。
俺は、嫌でも周囲の音を拾ってしまう耳を持っていて、加えて食事中には基本的に音楽を聴かないことにしている。だから、ファミレスとかに行くと、雑音を拾ってしまうのだが..........。
何が険しいって、口に出して「草」とか「〜なんだワ」みたいなネット文体を音声化する奴の喋り声が、それなりに大きい音量で聴こえるのだ。高校生ならまだしも、20以上のいい歳こいた男が、それをやっている。
やめろ、はしたない。何がはしたないって、下品に振り切らずに中途半端な品性のない言葉でチキンレースに興じているつもりになっているのが本当にはしたない。いじ汚い。
ミーシーで喋れ。でなければウンコ排泄音を口でやれ。
後頭部に目があるような感覚だが真実は前頭部が後頭部であるという錯覚に基づいた幻想だという話
要は、公共性のある肉体を離れて、悪事を働こうとするドッペルゲンガー的幻視がたまにあるということである。下書き時には、その様が詳細に記述されていたが、支離滅裂過ぎて読めなかったので思いっきり削除した。
だが、俺には現実に戻る術がある。今回は現実に戻る際に使っている「無免キチゲ封印メソッド」を紹介する。
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救心をぬるま湯で飲む
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マスクスプレーをかけたマスクつけて深呼吸
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ホワイトノイズを聴きながら歯茎を嘗め回す
救心を「ぬるま湯で」飲むのがポイント。
朗読劇は素晴らしい
久しぶりにアニメイベントに行った。
『小林さんちのメイドラゴンS』スペシャルイベント | TVアニメ「小林さんちのメイドラゴンS」公式サイト
その中で、書き下ろしシナリオを用いた朗読コーナーがあって、それは脳みそを使って聴いていた。内容自体は、まあありきたりな日常ストーリーで、特筆して何か主張するようなものでもなかった。
が、演技に興味を抱いた。
声優という職業は、舞台俳優との兼業が多いことから、その両方の性質を併せ持つことが多いのだが、ことに朗読というのはそれが如実に顕れる。この「声優か?舞台俳優か?」問題は、個人的にはかなり重要な問題である。
前もって言っておくが、どちらが秀でているとかではない。その性質で優劣を決定する趣旨はこの言説にはない。
さて、この問題を意識したのは、長縄まりあ氏と高田憂希氏の演技法が異なっていたことに由来している。それぞれの演技の特徴を大雑把にいうと、
- 高田→ナレーション。セリフを日本語文として朗読している。まとまりがあってストーリー把握に都合が良い。(舞台俳優タイプ)
- 長縄→映像的。表情変化が起こるタイミングで息の入れ方を変える。朗読なのにアニメーション的に楽しめる。(声優タイプ)
という感じだった。役者の美学みたいなものの一片に触れたような気がした。声優オタクとして、朗読劇はこういう楽しみ方が出来るとより深いところまで味わえていいよね、としみじみ思った。
あと2年くらいはアニメイベントに行くつもりがないのだが。
読書レポ断念
フィクションを触る体力が減っている。
フィクションの魅力は「アノマリーの破壊」で、1万年もない地球人類文明の蓄積を超えたシミュレーションがノーリスクで楽しめるところに魅力がある。しかし、経験を通じて現実へと適応しようとするのが大半の人間で、その定規とズレのあるフィクションを嚥下しようと思うと負荷がかかる。
だから、思ったほどスラスラ本が読めない。特にSF。知識と蓄積がない分、シミュレーションの解像度が低く、設定の嚥下が簡単にできない。そして、フィクションはフィクションという形式自体がおくすり飲めたね(https://www.ryukakusan.co.jp/promotion4)なので、これ以上に飲み込みやすい形式には出来ない。
ヤバ!とりあえず『地球外少年少女』は見る予定です。
チーズ牛丼とローストビーフ丼
チーズ牛丼は無根拠な自信を持つことが出来ない故にチーズ牛丼になってしまうわけで、そのような人間が単純な利得計算からはじき出された推奨ルートを行けるわけがない。なぜなら、彼らは勝手に価値を付与してしまうからだ。
「どうせ僕なんて」「だって出来るわけないよ」
という言葉は、自分に対して恣意的な価値付与をして、2段階以上の計画をバッサリ否定するものだ。自分に対して恣意的な価値付与をするにしても、チーズ牛丼スタイルは計画の断絶に繋がるので、だったら無思慮に計画を推進してしまうローストビーフ丼スタイルの方が利得が大きいような、大きくないような...........(パラメータの設定によるかも)。
この、2段階以上の計画というのは、コミュニケーションの練度上昇につながる。短絡的なコミュニケーションは、相互の不利益をもたらす。だから、自然と連結する人間の幅が狭まっていき、視野狭窄に陥る。それは最大限までいけば、完全な孤立を意味する。孤立は幸福感に繋がる体内物質の分泌を妨げるため、定型発達でも後天的な失調が起こる。
※アンチ・チーズ牛丼・インターネッツが狭い人脈で視野狭窄に陥らないのは、妄想力の強い異常者だからである。彼らの頭の中では、ランダムウォークに基づいて人格が設定されたイマジナリーフレンドとのスペースが今日も行われているのだ。
だから、チーズ牛丼スタイルで鬱とかの失調に陥る人は、結局のところ自己批判が出来ていないのである。自己批判と自己叱咤は違うわけで、そういうことに気付けず大学生とかになっちゃった人は本当に哀れだ。
かといって、ローストビーフ丼スタイルは軌道修正が出来ないので、リスクがあまりにも大きい。
定型発達の鬱・後天性精神疾患、そして定型発達の声の大きい連中に必要なもの、それは、カラリパヤット。
カラリパヤットを通じて、今までのエシカル自己叱咤教育を洗い流しなさい。
戦え。
不謹慎な趣味
「流行りが終わったコンテンツのファンアートが過疎化して、薄い鉛筆で本編シーンを模写したようなものをスマホで撮ったヤツ」だけになったpixivの検索結果を見るのが好きだ。
アカウントを持っている人は、試しに「桜ねね」と打ってみるといい。
こういうのがたまらん好きだ。まるでバブル期に造られた小規模遊園地がグラフィティだらけになっているような、そんなダウナーアッパー、がインターネットにも発現している。それって、めちゃくちゃ"""⭐️omo❗️趣-m-趣❗️uki⭐️"""じゃないか。
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マジで平家物語以外アニメを見ていない。
最近ずっとABCニュースとかブルームバーグのポッドキャストを聴いているせいで、日本語の喋り方がポ力ホン夕スもどき留学帰り学生みたいになりそうになる。キツい。