記ッ雑ニア
ちなみに行ったことは
ありません。
カドカワのマンガ建物みたいなやつめちゃくちゃ早大学院っぽくて笑っちゃった。同じようにオナニーしても臭いでバレないんかな。
おー\シコシコシコシコ/‼️あーやば、ぉお、東所沢の風を感じながら..........
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説教嫌い
少年時代、説教を受けることが嫌いだった。とにかく嫌いで、そのおかげで事あるごとに稚拙な嘘をついては、重ねてまた怒られた。
今となっては、落ち度を真正面から受け止めるだけのメンタルがなんとなく出来てきたので、正当な説教は仕方ないのでしっかり耳を傾けるが、それにしてもパワハラ説教が嫌いだ。死体蹴りをするんじゃない。俺の少年時代は死体蹴りが横行してて、小学生の先公も柔道の先生も、両親もそうだった。
説教は「0:100」になってはいけない。この世にヒャクゼロの善悪はないからだ。微弱だとしても、被害者には責任がある。加害者だけに全てを背負わせてはならないのだ。増して、説教サイド被害者に20/100以上の責任があるならば、その被害者にも修正の責任がある。そのことを知覚していない大人があまりにも多過ぎたのだ。
ここまでは「受ける」話。俺は「する」のも嫌いだ。むしろ、する方が嫌いまである。
本来の意味での説教は、期待だ。より善い方向へ失態を晒した者を導き、それを見守る第一歩なのだ。説教は、やりっぱなしで終わらない。自由権規約委員会だって勧告の後にはフォローアップがある。
継続した温情を持ち続ける。そんなもん、人間が好きじゃないと無理だ。
じゃあ八つ当たり怒鳴り散らしは?もっと嫌いだ。相手に憎まれる上に、憎しみは伝播して連帯を生むからだ。何かに八つ当たりしてスッキリしたところで、カッとなって頭に血が昇ると脳に炎症が出来るし、怒鳴ると喉が痛いし、殴ると手は痛いし、何をやったって損害が発生する。後にいいことを残せない。
そうなると、誰かに説教を任せるか耐えるかになってしまう。損している気は当然するが、積極的に人間関係に参加するより、この方が幸福度が高いので仕方ないのだ。
俺含めて、もっと人間が理知的になればいいのに..........。
ゲーム嫌い
始点・終点があるゲームはストーリーの上に成り立っている。ゲームはストーリーこそが核であり、ゲーム性はストーリーを際立たせるための装飾品でしかない。
MGSや初期バイオなどをある程度やった経験があるので、ゲーム性について否定する気はない。それはそれで没入感を深める良いツールだ。一定の作業で脳が喜ぶと、ストーリーの飲み込みも良くなるからだ。
問題は、ゲーム性が低いゲームがシナリオを出し惜しみしがち、という話だ。
作業の複雑性が確保されているなら、脳はしっかり喜んでくれる(アンテなど)。しかし近年のものに多い、ガチャだのポチゲーだの、あのような単純作業で喜ぶわけがない。あと育成のために金を出させようとするのも気に食わない。7000円で完結させろ。
追加すると、ゲームプレイ中にボイスをオフに出来る機能つけろ。特に音ゲー。女性声優の鼻声はストーリーで嫌ってほど浴びるから良いんだよ。それはゲームの質に関係ないだろ。
こういうイライラが重なると「ゲームどうでも良いからシナリオ寄越せよ」という意見になってしまうのだ。ゲーム性の低いゲームは、シナリオに自信がないので、こうやって誤魔化しを何枚も挟んでいるようだが、文化闘争者にそんな小細工は通用しない。
舐めやがって。
無工夫嫌い
「それもっと工夫すればストレスかからないじゃん」ということを、本当に見かける。
家では、スリムデザインをかなり推し進めているので、部屋はガチで綺麗になった。が、それ以外の面ではデザインが上手く通過せず(子供部屋おじさんだから)、頭を擡げている。
非効率な初期設定を変更すれば、よりストレスの少ない生活が待っている。そう考える人間があまりにも少ないのは、結局のところ敗戦間際の根性神話が高度経済成長というネクストステージで上手くいってしまい、永遠に教育機関で継承されてきたからだろう。特に初等教育機関で。
間違いではないんだよな、ガッツは重要だということは。ガッツは推進力で、どんなに良いプランもガッツがなければ進まない。だからガッツを教育するのはおかしい!とは言わない。
が、「ガッツだけが重要なんだ!」みたいな思考停止を前提にするのはおかしいだろ?という話だ。
みんなも環境や行動のデザインには気をつけようねッ。
議論嫌い
言葉がデカい力を持つと勘違いしてる輩が多い。俺も、高学歴モヤシサラリーマンの家で育ったらそう思ってただろう。
そんな事実はない。言葉が通じるのは言葉がわかる人間だけだ。言説など油絵の中のメメントモリと同じだ。言葉そのものが通じないから、今、令和、スマホ時代に「態度で示してよ!」という言葉がラブコメで通用するのだ。
言葉は根幹であり、それを「翻訳」する必要がある。態度、という、表情や仕草などを用いた演技でそれを行うことがあれば、ときに暴力が登場することもあるだろう。もっとソフトに、可視化や実体化という手段も今では選択されている。
人間は「易き」に流れる。それは生物として仕方がない。それは話者も例外じゃない。
今までは「通じさせる」サイドばかり話したが、「通じる」、つまり言葉を受け取るにも不断の努力を要するという問題がある。言葉の意味や内容を解するために、普段から言語感覚を読書などで養ったり知識をネットや論文で仕入れたりしなければ、アンテナは素早く錆びる。
人間は言語が話せるというが、こうも言語に不向きなところを見ると、やはり猿なのだなぁと感心する。人間が愚かなのではなく、賢い存在などモデル上でしか有り得ないわけだ。おもちれぇーーーーーーーーッ‼️‼️‼️⁉️
努力嫌い
どんな不味いものも、カレー粉をかけると、なんとなく食える。どんなダサいものも、努力をかけると、なんとなく美しく見える。
だが、味の濃い調味料は本質を見失わせる。努力という麗句は、泥臭い惨めな定着作業を湖の底へ沈める。
努力は苦悶に先立たない。ひたすらに惨めな思いをし、その中で砂金を這ってでも掴み、煌めきを夢見る。それは運動能力も知能も同様に言える。初めはバコーンと上がる。だが、レベルが上がるほど少ししか上がらず惨めな思いをする。それでいてゴールがないので、自分が折れないと永遠に走り続けることになる。
それを知っている人間は「努力」なんて軽々しく口にしない。そんなわけで俺は努力という言葉が嫌いだ。
生誕感謝嫌い
もうそろそろ年齢を重ねる。世間ではこういうタイミングで祝い事がなされるが、考えれば考えるほど呪われた日にしか思えない。
Happy birthdayは、HappydayであってHappy birthではない。生まれたことの祝福は産んだ人々の仕事であり、生を受けた本人はその出生を尊ぶ必要はない。現に、筆者無免は「生まれてよかった」など一度も思ったことはない。
感動は生まれなければ出来ないが、それは出生の価値を保証しない。それを言ったら苦難だって出生しなければ受けないからだ。特に少子高齢化によって出生数より死亡数の方が必然的に多くなるので、出会いの別れは今後重たくなっていく。人との死別の度に「生まれなければこの悲しみはなかった、ならば生まれなければ..........」と思う悲哀を思えば、生を受けることは祝福より災禍なのではないか。
また、生まれたことの価値付与として「人には生まれた意味がある」みたいな使命論がある。これに関しての論理的に正しい叙述は雑記ゆえ控えるが、一体全体、使命論の上ではシリアルキラーはどのような使命を携えて生まれてきたと説明するのだろう。
とにかく、生まれてきたことをプラスに感じていない。が、勘違いしてほしくないのは、親には非常に大きな感謝の念を抱いていることだ。こんな駄目次男を育ててくれたことには、感謝してもしきれない。
だが、それとこれとは別だ。始めることと続けることは別問題なのだ。
まあ、せっかく生まれたのだから、居なくなったときにより多くの人間に迷惑がかかるように、なるたけ大きく貢献しようと思う。「こんな時にアイツが居れば..........」と生存者に思わせて、ザマァ見やがれ!怨むならテメーの親と交尾システムを怨むんだな!と生者を馬鹿にしながらこの世を去りたい。死んだ祖父を想いながら、こんな駄文を書く、誕生日の1ヶ月前。
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忙しいんだけど、踏ん張りすぎると壊れるので適度に寝てる。
オナニーするたびに体壊れてるけど。
雑ラ記
DQをプレイしたことはないけど、エロ同人誌の元ネタを知りたくて攻略本と攻略wikiを読んだことがあります。
ファイナルファンタジーもそう。テイルズはいつかプレイしたいから攻略本を読んでいないけど、アニメ見たら実質そんなもんなのかな。
ノベルがしっかりしてるとアニメが見やすい。エイティシックスと某ラブコメを見てるとそう思います。
このブログが俺の縮小垢です。それではどうぞ。
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お役立ちサービス
ナンセンスを生み出すと、現在の集合Aから別の集合Bへの転送が上手くいった感じがして、気持ちいい。
でも、それはそれとして、センスがいいものを産むと、気持ちいいよね。
このブログのハウツー記事とか「今こんなことしてるヤォン」みたいな話は、大体は経過記録みたいな使い方でやっていってるが、別の人間にとって何かのヒントになると正直書いた甲斐があった気がしないでもない。是非役立てられるのなら役立ててほしい。
それはそれとしてナンセンスの質を上げたい。
某都某ニメーション
※
コレは、アンチとして書いているのではなく、一定の視点があるよ!という提起として書きます。作品は一定レベル好きだという前提で読んでください。
※
「京アニのアニメ」が第一に来るアニメというのがある。逆に、その項目が後回しになる作品というものもある。
この前者について、世間ほどの評価が出来ず、意見が合わないことが多い。まあ言ってしまえば、そういうのはエスマ出身作品群に多い。
らき☆すた等がもたらした、数々の作品を蒸留して抽出したサブカル観、そこから派生した「萌え」みたいなものを一定のテーマの上に乗せて提供している感じがどうも拭えない。
でもハイスピとかVEとかは本当に質が高い。アレを“第一項目が「京アニのアニメ」になるアニメ”にするのは何か違う。まあこんなもんは個人の勝手でヤイヤイ言ってるだけだから、定義とかはかなり曖昧だ。そこがなんとも痛痒いポイントだが。
本当にザックリ言うと、
「実写だとクソショボいB級映画になる」作品はやっぱり作品として評価されにくいよね〜
という話だった。もちろん中二恋もたまマケ等も好きだという前提で書いている。
だけど、京アニで一定の評価をされている作品の多くは別の場所に大きな価値を持った原作がある(ユーフォ原作派)(古典部小説派)し、エスマはアニメ製作主催の賞というだけあってやはり萌え寄りになってしまうのはしょうがない。
以上、実写前提の映像評価でアニメを見る保守派の戯言であった。
頭がアルファベットの奇人
俺も元アイマスPだから、縁が無かったわけではない。自分をその存在に重ねたことも、恥ずかしながらある。
しかし、多すぎないか。Tに至ってはTeitoku Teacher Trainer と複数ある。とにかくアルファベット頭の性欲モンスターがこのインターネットには溢れている。
こいつらを、The alphabet head-man、通称αHと呼ぼう。
αHには一定の共通点がある。その共通点をジロジロ見ていけば、αHが単なる白ハゲではないことが見える。
要素1 円や楕円を避ける
まあ、顔面という一定のパーツから構成された閉じた曲線を避けるのでしょうがない。そりゃそうだ。
しかし、表情芸無くして、口の開閉すらないのに吹き出しだけで喋らせる、というスタイルが通っているのもなかなか不思議なものだ。尾田栄一郎が口を閉じているキャラにセリフ吹き出しを当てて批判されていたのが嘘みたいだ。
要素2 頭が黄色い
まあアイマス様が公式認定して確定した色だが、他コンテンツでも同じ方式が用いられているのは凄い。
なんで黄色?それについては、昔の絵とかだと別に黄色が大多数ということもなく、マジで不思議なところはあるが、スーツ・軍服などに合うのが黄色だとか喜怒哀楽(赤だと怒りで青だと悲しみ 等)に擦り寄らないとか、色々あると思う。
要素3 ギャグキャラ
マジレスする雰囲気になると目無し人間顔になることが多い(要出典)。それ以外のギャグとかはんなりの担当であることが多い。
ぷちますでもハレンチアクターだったし。
要素4 身長が165-170という絶妙なサイズ
バケモンみたいにデカくない。低身長キャラがちんちくりんに、高身長キャラがスタイルよく見える丁度いいサイズ。
あまりにちょうどいいサイズすぎるのは、そもそも主人公にフォーカスするためじゃなくてキャラの添え物として創造された存在だからだろう。美少女ゲームの主人公アバターとして最善の状態であると言える。
ね。
まあ、「オナニーしたいわけじゃないけどそれとなく萌えになりたい」ときに都合がいい格好というのが、こんな感じなんだな。ベータオスで草生えますよ。
は?(デカキモ)
目への努力
概して、モソモソ喋ってて自虐ネタをインターネットでメインコンテンツにするオタクの目は細い。モテない典型的チンチャンチョン・フェイスをしている。
別にモテ顔になることを良いことだとは思わない。が、それで舐められて主張を相手に受け入れられないくらいなら、少しは相手が耳を傾けるだけの外見を用意するというのは、交渉の準備として無駄なものではないと思う。
僕は目を意識して開いておく時間を一定量用意して、なるべく細目にならないようにしている。オタクっぽい顔をしている人達は是非目への努力をして、人間に擬態できるようやっていってほしい。
超えたい人たち
TRPGブームがすごい。オタクとしてはクトゥルフくらいは知ってるものの、それ以上にファンタジー寄りのものがめちゃくちゃ人気らしい。
俺のTRPG嫌い(嫌いというほど執着もしていないので“苦手”の方が正しい)はTwitterでかなり言っているが、今回はそれの話をひとつ。
役者というのは、役者だけで輝くことは出来ない。照明や演出や音響がいて、かけるなら音楽がいて、また撮影ならカメラマンも映像編集もいる。様々な人たちの手助け、プラスアルファで役者の演技研究があってこそ、劇は成り立つ。
この「劇が成り立つ」というのは、「役者そのものの人間性を超越する」ということに等しい。
そう。これ。
創意工夫も努力もせずに人間性を超越したい奴がTRPGをやっている。
甘いよ。人間性はそう簡単に跨げない。
何せ、歳を重ねれば重ねるほどに蓄積された自己というのは、量に比例して剥がれにくさも増す。ガキならガキで引き出せる他人の蓄積(俗に“知識”と言われる)の量が限られてくる。人間性というのはオールタイムで超越が難しいのだ。
例に出した演劇スタッフは、それの手伝いをしてくれる。ヒマラヤを登るときにシェルパが居るようなものだ。シェルパ無しで危険な山脈を越えられるか?無理だ。
素人だけでワチャワチャやれるのは、結局のところ身内だけで馴れ合っているから、というだけで、そこにゲーム性は関係ない。純粋なゲーム価値があるのならば麻雀の次に配置されるコンテンツにもなるのだろうが、その日は訪れることはない。
結局は「虫」の餌だ。美味しそうで何より。
キャラ鉱脈としての同性愛
創作の百合やBLをpixivでチェックしている。
だからなんだよ、という話ではあるが、まあ話を聞いてほしい。
別に貝合わせが好きなわけでもオスオス交尾が好きなわけでもない。セックスにおいての合理的スリムデザインは結局ヘテロだからだ。
じゃあ何か。キャラだ。百合山脈や薔薇台地には、レアアースが眠っている。
ヘテロでは湿度の高い王子様女を描くと描写がキモくなるし、百合のロリはぷにぷに感をあまり前に出していない。肌がサラサラしたリアルに近いものがあって、それはそれで妖しい気持ちになる。
逆にBLの男は、高身長な男が弱きになるところがいい。意外性ってのは嬉しい。だけじゃなくて、金髪のチャラい男が臍が弱いなど男性目線ではピントが合わない視点を提供してくれる。男性作家のBLは先述したロリに近い物質感を感じて、それはそれで面白い。
そして、百合だろうと薔薇だろうと、その魅力的なキャラとキャラがくっつく様を見るのは、交響的で素晴らしいものだ。
まあ、キャラ資源はそれぞれにいろいろな種類のものがあるので、うまくやっていきましょう。そういう話でした。ジャンルどうのこうので決めつけるのは、魅力を見失わせますからね。
ジーオーティーはですねぇ!!!(エロ商業のオタク)
一定の価値
「お前は分かってない」「それは違うだろ」という言葉をあまり使わない。ようにしている。
何というか、二つの理由がある。
第一に、価値を判断できるほどの知識があると、自信を持って宣言できないからだ。
大前提として、自身にとってマイナスな感情を齎す対象が持つ価値というのは、自身にとってマイナスであり、かつある視点からはプラスであるということをまず自覚せねばならない。ゼロではないのだ。「価値がない」ことはありえない。
その上で、その価値がどれほどのものかを判断するのは非常に難しい。もしかしたら1/10以下かもしれないし、10^2以上かもしれない。そもそも最大値・最小値はどこか。マイナスを含むのか。これだけのことを考えて、やっと「俺にとっちゃ価値がない」と言える。
次に、それを他者に言うということは、宣言だけでなく、相手に価値観の一部を修正するよう要求するという意味を持つ。
「私は(テーマx)について価値を感じないので、今後は私に対して(テーマx)についての言及をしないように。」という指令を発することになる。暗黙の了解、というやつだ。逆に言うとこれが出来ないのは読解力の欠如なので、これが苦手な読者は頑張ってほしい。
そして、そんな指令を発してまでコミュニケーションに工夫をする意欲が此方にはない。どうにかして最低限で最大の成果を得たいのに、一々そんな不快感を感じてまで相手に修正を施したくない。
その結果、
一定の価値を保有してると思う。
という、非常に便利な言葉を発明した。
本気でこう思ってるし、しかも逃げを上手くコーティング出来る。素晴らしい文言ではないか。
オタク各位は、是非「俺は?」というダルい質問をされた際にコイツを使ってほしい。
健康神話と俺の持論
洒落た人間は、健康になりたがるっぽい。
「健康な方が良いじゃん」くらいの動機で。
まあ、健康な方が良いのは間違いないが、健康だったら何が良いのか?ということを考えないと手段に執着するだけで目的に到達できない。そこで、サンプル1である一市民のワイさんの意見をチョロチョロ〜っと書く。
ワイさんは結局、健康になって安寧が欲しいんだと思う。
病気になると、肉体的な痛みや苦しみが襲ってくる。そうすると心の据わりが悪くなってくる。そうすると他のことを考えるときにも悪影響が出て、何もかもダメになってしまう。それを避けるには、根源である病気を避けることが肝心で、そのための健康だ、と。
不快感に惑わされず、落ち着いた心持ちを保つ。そうすることで、動と静のバランスが良くなる。
..........とここまで書いてはみたものの、じゃあみんなにコレが受け入れられるかというと、そんなことはない。俺はかなり仏教に影響を受けているのでこういう考えになってはいるが、そうでない短絡的快楽主義者はたくさんいる。A rolling stone gathers no mossをモットーに自転車操業で人生常にカリカリして、意図的に他人を恨んだり他人に八つ当たりする輩もいる。そういう連中は決まって人間が好きな色キ千ガイだらけだが。
知があっても智がない人間は、大変だなぁ。苦しかろう。でも俺は王子じゃないからお前のこと助けてやんないよ。
異常男性の朝の習慣
起きがけにこれを聴く。
以上!
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ホースドーターの耳なし版のスケベ絵みたいなやつ、暖かすぎるだろ!!!(絶叫)
ガムボトルがもうスッカラカンになりました。なんで?
声当てたヤンデレCDより最近の動画投稿の方が怖い(元)女性声優さん..........。
OK!
ザッキー(粗雑記結衣)
↑これ本当に好き
[図1]類似する画像
いい笑顔じゃないか。
この前出さなかった分とちょい溜まったやつ。
そういう雑記。
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顎トレ
弁当を詰めるのは1/2の確率で俺なんだけど、米には必ず小梅を入れている。種まで噛むのが顎のメンテナンスにちょうどいいからだ。
噛むというのは凄く良くて、それは俺が言わなくても知ってると思うので割愛する。けど本当に良い。昼飯後でも、しっかり噛んでいれば眠くならないからだ。
ガムはどうなんだ?という考えもある。確かにタブレットガムを持ってはいる。が、味は濃いし多く噛み過ぎると腹は下るし、何よりコスパが良くない。一応使ってはいるが、これだけよりは小梅を併用したほうが効果が得られる。
大きい梅のほうがいいのかもしれないが、歯が欠けたらコトだ。歯が欠けるで思い出したが、そろそろマウスピース欲しいなぁ..........。
オタはにんきもの
やはり、どの世界にも人気者はいる。全員が全員、同じ人気度だとしたら感情のの調整が困難になるから、そのこと自体に疑いはない。
問題は、その「ハウツー人気者」は何かということだ。
まあインターネットの人気者の多くはこれだと思う。「可愛い」のだ。要は愛嬌がどれだけあるかの話になる。
イケメン高身長高スペックの英雄然としたカリスマでは、好き嫌いが完全に二分されてしまい、支持者と反対者が友敵になってしまう。緩衝材がないから、そのカリスマを支持しているだけで罪になったり、逆の場合に村八分されたりする。
しかし、不快感を与えない程度の格好+顔、それでいて一定以上のスペックであるなら、多少はファンもアンチも許される、といったところがあるのではないか。言いたくはないが、「容姿問題」がかなり絡む。能力だけでどうにか出来る話かはかなり怪しい。
スペックについては多様な要因がある。何かの事情通であることを小出しにするとか、大衆の話題に興味がないフリを巧くやるとか、いろいろ。そういうのは俺の専門外なので好きにやってほしい。
とにかく、人気者というのは美男美女とかじゃない、マイルドな顔・姿問題が絡んでくるので結局は生まれが関わっちゃうよ〜という話であった。それが全てではないけどね。しかしエッセンシャルな問題ですよ。
飲み会とかなんとか
アルコールを同団体の人間と摂取する儀式が、かなり減った世の中。フジテレビでは、芸能人が頬を赤らめながら失礼に当たらないスレスレのラインを話す番組が放送されていて、視聴率もそれなりにあるらしい。
飲み会は必要なのか?ということを、体育会系サンプル①である我が家のパワハラパパに訊いたところ、「めっちゃ要る」らしい。
・アルコールを摂ると緊張がほぐれる
・マンツーマンでしか話せないことがある
・重要な話を滑らせる
・ヤニを吸ってさらに加速する
とのことらしい。なるほど、美人局や拷問が使えない法治国家ではコレが限界なのか。
では社内、対部下の飲みはどうなんだ?と訊くと、イヨッ、「無礼講」という言葉が飛び出してきた。
待ってました。自己観察能力が低い人間が大好きな言葉。「無礼講」。コレが問題なんだ。
そもそもこういうことを言う人間は往々にして無礼だ。ゲップしたら笑って誤魔化すし、新幹線で靴脱ぐし、車で屁をこいたら「ちっちゃいことは気にするな」。
それを踏まえて「無礼講」。失礼のエクストラステージ。こういう人間のことをアルファオスというらしい。良いとか悪いとかはともかく、テロテロにはしゃいで弱みを見せているという点では平等なのかもしれない。
そうか、飲み会文化は「弱みを見せる」文化なのかもしれない。胸襟を開く、というように、普段見えない一面を見せ合って互いに切れるカードを増やそう、と、そういう場なのだろう。
こんな文章を書いてたら、久しぶりに飲酒修行でもしようかな、と思えてきた。まあ身体が健康ですぐに毒を察知することができるので、ゴールデンレトリバーと同じくらいの速さでビールで酔うのだが、そんなワイ氏でもある程度は訓練で耐性がつくのだ。
しかしイライラしやすくなり、無口になるから酒は飲みたくないのだが..........。
ウレウレウレウレ憂う
物語は物語を目的として生まれ落ちる。だから、現実の出来事は物語になり得ない。現実のスポーツは、その技術や要因に大いに注意を払い、余計なストーリーを付与してはならない、と何度も絶叫している。
ウマ娘はウマ娘を目的にしており、同じモノサシでリアル競馬を見るための指標として設定されているのではない。それが民衆にはなぜわからないのか。騎手の身の上話がなんだ。それが影響したらどうしたんだ。コースの上にはコンディションと技術しか存在しない。それを以ってブチかますかどうか、それがプロの世界なのだ。
なんだってそうだ。サッカーも野球もバスケも競輪もボクシングもF1もEスポーツも、なんだって。余計なストーリー、という甘ったるい生クリームを何にでもかければ美味しくなるのか。そんなわけがないだろう。
プロへのリスペクトは、純粋に結果を受け止めて冷静に試合を分析することだ。物語は、物語の中にしかないんだよ。
痛感
ホント、痛いほど最近思います。
無駄嫌いは、無駄を省いてるはずなのに、いつもイライラしている人が多いんですよね。なんででしょうね。
それを回想しては「このワンステップで安寧を」と唱えて、面倒がるのをやめています。
美しいノートとは
この本も随分前に読んだ。高校時代に「勉強法の勉強をしたい!」と思って、いろんなノート術の本などを読んだが、当時は逆張りが邪魔をして普通に失敗した。今だからハッキリ言えるが、上の図を参考にすれば、多少はマシなノートが取れる。マジで。
それはそれとして、リアルタイムで綺麗なノートを取るにはどうすればいいか、そういう話をですね、しましょう。
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手順1→テキストエディターでノートを書く
手書きで「雑に」取ったメモをエディターで清書する。まずコレ。なんならコレがゴールの人もいるけど、美しい画面を作る体験はここで出来る。
見出しのフォントサイズをいじる、文字の色をポイントで変える、文章の構成ごとに段落の頭を編集する、いろんな工夫がエディタで出来る。やりなさい。そして「スリムで情報が出しやすい」書き方を覚えなさい。
どうしても美しく書けない人はこういうのを見てください。
手順2→安過ぎない雑誌を読む
1冊900円以上の雑誌を読む。そこいらの客を選ぶ感じの雑誌は、デザインが良くないと伝わりにくい話題を扱っていることが多いので、デザインに気を使っている。めっちゃ。
安い雑誌は、写真の暴力で押し切っているのでアテにならない。文も拙い。情報伝達の一つの例としては不足が多いので、上の金額のルールを守るのが吉だ。
面倒なら、コレを読むとそういうステップを踏んだ気持ちになれる。
手順3→なんでもいいからトライする
綺麗なノートをリアタイでやるのは難しいです。シャレにならんくらい。俺だってまだ試行錯誤中です。
やりましょう。とにかく。
マクロな視点を持って、板書やスライドにやたらがっついて丸写ししないよう耐えるのがポイントです。
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しかし、勉強って言葉は本当にダメです。「学習法」とか「テクニック」って書いてありゃまだいいけど、「勉強法」ってついてる本や記事は全くアテにならん。勉強って「やりたくねーけどしょうがない」「やったら偉い」みたいなニュアンスを多分に含んでいるんですよね。
「虫」が。
オナ達
自慰行為に習熟すると、現実でイキにくくなる話がある。2人エッチにおいて、慣れたオナニーを前提にすると、スイートスポットを的確に刺激し続けるテクニックが前提になるので、大量の情報共有か高度な経験学習が必要になる。
そこを踏まえず「旦那とのHが〜」などと語る人間がインターネットに多過ぎる気がしないでもない。
まあ悪いのは早漏男性だが。心臓と骨盤底筋を鍛えろ。マラソンと空気椅子。ナッツ食って朝ダチはシゴいて寸止め。
でも、そこまでしてアルファオスになって幸せが待っているかも謎だけどな。
100万円札メモ用紙
母に中学あたりからよく言われた言葉がある。
「現金を扱う仕事をするなら、客や店の金を“金”だと思うな。ジョークグッズのメモ用紙だと思え。」
今まで2種(+いくつか臨時)くらいアルバイトをしているが、本当にその通りで、横領の悪魔というものに囁かれる人間というのが何処にもいる。そしてそういう人間はクビになる。
今回は金というより、仕事道具の話で、今流行っている育成ゲームについて思ったコトだ。某娘を「女性」としてガン見するのは仕事として如何なものか、という視点がもう少しあってもいいのでは?という話だ。
それを言っちゃあアイマスだってそうじゃねーかよ。そうなんだよ。その通りなんだわ。
その点ラ!はいいよな。だって最後まで学生気分たっぷりだもん。
オタクコンテンツをそういう視点で見ることを普段批判している俺だけど、そういう批判の視点が無さすぎると、逆に批判したくなるものなんです。一応は逆張りストだから。
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ノートのところ書くときに「テキストエディタ」のところを、最初に「Word」って書いていたんだけど、全員が全員Winな訳でもないし、俺もスマホのNotes使ってたので書き換えた。
線形代数のノートをLaTeXで清書するかマジで悩んでいるけど、図を作るのが怖くて足踏みしてる。ウワーーーッ!どっちみち字は汚くないから放置していいけどさ。
陰毛は剃ってるのにヒゲは剃ってないってどういうこと?知らねーよ。
🧑🏻🦲🧑🏻🦲狩人の絶唱🧑🏻🦲🧑🏻🦲(ヴェーバー作曲)
食前に絶唱、していますか。
僕は、しません。
[図1]食品と加工前の原料
食べ物がどこから来ているかを考えるのは、食の安全の見地から重要なことだとされていますね!
みんなは何を食べてるかな?その食べ物はどこから来ているかな???
雑記です。
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・オカルトと俺の肉体関係
ご存知、この無免青空は変態妄想狂気人間だ。
バイトを辞めるキッカケも、クローズ作業をしていたら窓から空を泳ぐ化け鯨が見えたからで、割とよくそういうモノを妄想する。どっちが現実かもよくわからないが。
意欲がある+コンディションが良いor異常に悪い→大体の妄想を見ようとすることが出来る というのは、先述したような幻想的な風景だけでなく、オカルトにも言えることだ。
とはいえ霊感はない。これっぽっちも。イタコも出来ない。こちらにヴィジョンあってのオカルトARだ。
ンマァ唯物論を前提に考えれば、オカルトは、一定の物理作用を簡潔にするために導入した概念である、と説明出来る。自然科学的説明がIPアドレスなら、オカルト的説明はドメイン名みたいなもんだろう。当然、DNSサーバーみたいなもんが存在する。それは大人たち(当事者・創作者を含む)なわけだが。
例えば「地盤が良くない」「津波に呑まれる」「盛り場を子供から遠ざける」「都合の悪い“間引き”を見られたくない」など、そういうことを分かりやすくボカすためにオカルトは本来導入されているわけで、妖怪だの悪霊だのはその副産物だ。俺はその副産物の意匠を勝手にパクってAR化して楽しんでいる。それだけだ。
やれ、幽霊が怖いだなんだいう人間がいるが、それ以前にそのスポットだの儀式だのを細かく分析するべきである。儀式の中にある種の催眠術のようなものを導入しているものもあれば、スポットにおいては磁気が物凄くて具合が悪くなることもある。本質を掴んでカルチャーにライドしろ。いい波乗っていけ。
・「可愛い」に潜む蔑視
俺は「可愛い」というワードを100%褒め言葉だとは思っていない。半分くらいは蔑みのニュアンスを含んでいる、そこそこに邪悪な言葉だということを知覚しているからだ。
!:ドジっ子は「可愛い」が「美しい」とは言わない。
!:小動物系は「可愛い」が「美しい」とは言わない。
!:ぽっちゃりは「可愛い」が「美しい」とは言わない。
!:萌え声は「可愛い」が「美しい」とは言わない。
とりあえず分かりやすい例を4つほど挙げた。これは論理学的には間違った説明で、厳密な言論ではないのだが、自分の感覚や感情の説明をするのは“めんどくさい”ものなので、読者の皆様にはご容赦願いたい。
___さて、ところで..........「推しは“可愛い”ですか」👁👄👁❓
・自己記述、上書き。
その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない。
(It takes all the running you can do, to keep in the same place.)
小説が好きか、進化論が好きな人間には耳馴染みのある言葉なのではないだろうか。これは、小説『鏡の国のアリス』の中で赤の女王がアリスにしたアドバイスである。
そう、現状維持の為には一定量の継続的な行動が求められる。それはメンタルにおいても多分そうだろう、というのがこの話。
“
インターネットで自己記述をするとその言説に汚染されてしまう。「キモオタクなので」「顔キモ過ぎ罪で」「手帳なんで」..........。思ってもいない自虐ネタが、本来覚醒するはずの可能性の芽を積んでしまう。あゝなんたる悲劇‼️
”
なんて話じゃない。それは他の奴に任せるとして、俺がするのは、狂う為にインターネットをもっとアクティブに使えよという話です。
例えば
「電車で隣にオシャレな髪色の女性がいたから執拗に毛先をしゃぶりましたシャブシャブシャブシャブシャブシャブシャブシャブシャブ👄💇♀️💦」
と投稿する。実際にシャブシャブやると通報されるので文面での投稿だけに抑えるのが吉だが、文字で記述するとその狂気をほんの少しだけ内面に書き込むことができる。そうすることで、放置しておいたら薄れてしまう狂気を補充することが出来るのだ。
当然、フォーマルな自己記述はまた別にすれば良い。例えば顔を洗うとか名前を書くなどルーティンを作るでもいいし、インスタなど媒体を分けるでもいい。とにかく、人間達のインターネット投稿の使い方が雑すぎるという話であった。精神のセルフデザインに気遣いを持て。
・フリーライディング⭐︎フリーライダー
公共政治は、平等な分配は当然のことながら、しかしフリーライダーを防止することが重要になってくる。競争社会では尚のことフリーライダーは防止すべき、いや本来なら「居てはならない」存在、なのだが..........。
ハッキリ言うと、今現在で大流行しているコンテンツの殆どをフリーライドしている。どんだけフリーライドしているかというと、今使用しているiPhoneにはゲームアプリがTwitter以外ない。それでも概ねストーリーが追えてしまう様々な仕組みがあるので、一々市場に参加する必要がないのだ。
何なら二次創作から本筋を導出できる。某方舟はそういう方式でやっていっている。コンテンツ産業が「虫」に売っていく方針でやっていることによる旨味をジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュル吸って、う、うう、
うめェーーーーーーーッ‼️‼️‼️
・親しき仲にも
何が礼儀だ。一番必要なものはアップデートだ。
身内の評価が2年前で終わってないか?
WindowsだのiOSだののアプデはどうだっていいけど、知人についての情報はこまめにいじくって価値観をアップデートしないと、その人にホンットに失礼だぞ。
・顔
難しい話ですよ。
・現在のTwiの自己紹介の元ネタ
その後幻覚にも襲われるようになったシューマンは「虎とハイエナの形をしたものが襲いかかってくる。恐ろしい!」と叫び
これです。一番最初に知ったのは音楽之友社から出てる音楽史を絵本にしたシリーズのやつかな。噂の域は出ないけど梅毒らしいですね。でもクララ(妻)は発症してないので..........。
あー怖い怖い。遺言は「僕は知っているよ」なんだとか。
・逆張り/順張りの現時点での見解
最低なことを言います。
めちゃくちゃ狡猾な考え方ではあるけど、逆張りとか順張り氷山の一角であって、振る舞いにしか表れないので、「フリ」でいいと思う。
つまり、一定の処理の結果が「張り」なので、他人の言動をある程度サンプル採取して、2パターンの演算を用意すればいいだけ。そこにデータベースを影響させる理由はない。
だから、知れるものは知っておくに越したことはないと思う。オモテだろうがアングラだろうがなんだろうが。これって“芯がない”考え方なんだろうか?
・悪夢への序曲
かつてこんなことがあった。「アマビエ」をありふれているであろう伝承から、D社の手元に下った固有名詞にしようとしただの何だの。
まあ意匠を手中に収めるというのが、いかに恐ろしいことかは俺が言わなくても分かることだろう。
さて、そんな感じで、いよいよ意匠を完全に手中に収めんとしている連中がいる。
現時点で、日本のサブカルチャーに於いて、
・銀髪の狐娘
・褐色金髪エルフ
・赤髪ナイスバディ海賊
・水色髪ウサギっ子
・ピンク髪長身死神
などは、特にデザインの特権を主張をする団体はなく、自由に創作にて使うことができる。そして、そのイデアは特定の生存する個人と結びついているものではない。
しかし、その空想の自由が「虫」に食い潰されようとしている..........としたら?
自由を棄てて専制を選ぶ民が多かったとしたら?
助けてくれよアリアーヌ。敵は青髭じゃなくて隷属だよ。
Ariane et Barbe-bleue - Wikipedia
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実はこんなに早く出すつもりなかったんだけど、割とハイペースで溜まったので長くなる前に出しました。
今、金融関連でVBA弄ってるんだけど、IQ3にコレは難しいョ。。。。。。。
ASMR聴きながらボクササイズするの楽しい。攻撃欲求が高まる。でも目が血走って悪いドクンドクンがするのは厳しいね。
は?(デカキモ)
「G」eki-kimo 「W」arning
ゴールデンウィーク、何して過ごしましたか。
僕は読書と課題と、ここに適当に思ったことをメモして過ごしていました。
まあ今更ですけど、ここに書いてあること全部間に受けて屋外でコミュニケーションしないでくださいね。僕はハレとケくらいしっかり使い分けられます。
それではどうぞ。
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・カルチュアル・エリートに憧れて(ない)
幼少期、とにかく、特異な存在だという証明が欲しかった。
初等教育の最初の方はその欲求が本当に強く、マジックインキで腕にめちゃくちゃ絵を描いていた。そのまんま人生やってたらタトゥーだらけだったんだろうか。小卒までにやめてて本当によかった。
その転換先として、渋いカルチャーへの憧れがあった。映画と親が目を通さなかった日経スタイルの影響が大きい。あと母の友人から譲り受けてた音遊人、それに始まるカルチャー雑誌読みにも影響を受けているんだろうか。気付いたら、
グレーのエルメネジルド・ゼニアのスーツが好きで、愛読書は『ウェルテル』、好きな画家はカイユボット、誕生日に本革コーティングのシガーケースを注文(却下されました)
そんな小学校高学年になっていた。あらためて書くと痛いね!
そしてそのまま中学に進んで受験し、高校もそのノリで進んでいった。めちゃくちゃ臭いオタクだったのはそういうルーツがある。
.........。
まあでも、自分を自分たらしめるグッズを他力本願で入手するのはダサいですよ。製品化する時点でそれは大衆とまでは言わないけど集団なんだから。オーダーメイドで及第点、自作が一番。俺はそこを降りて、所持物や服装で自己表現するのやめちゃった。あなたはどう自己表現する?
・お前がそうであるように
正直、本気でお前の言及にのめり込んでいる人間なんかいない。まあ、(ここにタイトルを入れる)。
そう、だから必要ない。①自分を偉大に見せること、も、②誰かに配慮すること、も。
弱さを受け入れていきましょう。強く見せたところで、あなたの頑張りは数字でしか評価されませんからね。俺はアウトオブナンバー。狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う狂う。
・未成年○○の本当の恐怖
飲酒や喫煙、運転、ポルノもか。ドラッグはこの国だと青年してもダメだが。とにかく未成年でやっちゃいかんものが多い。
今は成人したのである程度この問題について冷静に触れることが出来るが、今よりも早い段階のときは本当に意味がわからなかった。所詮、法律の意図は治安維持。脳の発達だなんだ言うが、医学だってサンプルからの帰納。俺は別に衰退したところで、大企業の御曹司でも医院の跡取りでもねンだから知らねーよくらいに思っていた。
が...........................。
良くも悪くもこのことについて改めて考えさせられたのは、大学前半でバーに狂ったように通ってた頃だった。あそこで快楽物の本当の恐怖を知った。
未成年から酒をやると、酒のない人生が成立しなくなる。未成年からタバコをやると、タバコのない人生が成立しなくなる。未成年からポルノにハマると、ポルノのない人生が成立しなくなる。
この恐怖がわかるだろうか。義務付けられていないのに、サブ義務のようなものが発生して、生涯をかけて快楽物の生産工場に納税しないと生きていけなくなってしまうのである。
まあ一番タチが悪いのは、こういう快楽物は嘘をつかない。地元のツレも、ある時は親ですら嘘をつくが、ビールもタバコもコカインも嘘をつかない。快楽は何よりも正直だからだ。
だから、未成年者は快楽物に依存してはいけない。たしかにソイツは嘘をつかない。だが、嘘の危険性まで含めて人間を愛することが、人生にとってはエッセンシャルなことなのだ。
ハーァ阿呆くせ、パイプに火をつけます。
・暖かい目
異常者であることを自認したことで、異常部分「無免青空先生」と人間部分「Iさん」をどうにか分割することに成功した今、他人の交際や社会的成功に劣等感を本当に抱かなくなった。
それは多分、自己像の形成に「オタク」という曖昧でなんだかんだ言って大衆迎合的な概念が絡んでいたことから解放されたからだと思う。敗北を善とする相互監視的カルチャーが重荷となっていたが、それが性に合わないことを受け入れ、呪いが解けた。その結果、誰かが輝きを放っていても素直に拍手できるようになった。
だからといって意志の勝利ばかり褒めそやすバカマッチョになったわけでもない。何をどうしようがそいつの勝手だし、そいつが幸福であれば俺はなんでも良い。とにかく知人に願うのはそいつの安寧だ。「オタク」であるために苦い汁を飲み続けるマラソンを続けるより、本当に望んでいることに向き合い、その光明に進むこと。それを望んでいるのだ。
(自分で「苦い汁」だと思わなければ別に飲み続けてもらって構わなくて、とにかく幸福追求をしてくれという話だ。)
それが孤独に水族館のオウムガイを見てヨダレを垂らすことでも、自分の別性クローンと系外惑星について共同研究することでも、性器を切除することでも、俺としては構わない。自らの幸福に一本道を見出せ。
そう願って、いますよ。
・輪の外
読者各位の『人間失格』で一番印象に残っているシーンは何処だろうか。
僕のそれは、序盤の食事シーンである。
(略)
そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事の時間でした。
自分の田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳ぜんを二列に向い合せに並べて、末っ子の自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質かたぎの家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分は食事の時刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種の儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛かみながら、うつむき、家中にうごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。(略)
このシーンが一番共感できる。誰かとメシを食うことについて、知識導入(かつて「会」と称してやってたこと)とコミュニケーションゲーム以外の意味合いで価値を感じたことがない。メシの味を知るなら孤独に無音で食うのが一番わかるに決まっているし、その過程に会話(しかも食でなくつまらない身の上話)など必要がない。映画館で上映中にバカ話する輩が何処にいる?
まあ、つまりは他人への注意がとにかく大きく、いつも輪の外にいるという話だ。しかもそれが健常者として生を受けた俺の話だというのが辛い。
多少の疾患があれば逃げ道があるし、何より周囲が嫌々ながらも理解を示す(フリをする)。しかし、こちらにはそのような逃げ道が一切ない。逃げ道はないし、しかも口がよく回るガキだったから、親戚集合で話をさせられるのは決まって俺の役割だった(兄は本当に無口だったので)。
結果、“コミュ障(一般用法)”ではないが「障」である無免青空というパーソナリティが形成された。
それを理解してくれている知り合いには感謝していて、その上で交流を継続しているその懐の深さには本当に驚かされる。しかしながら、そういうことが出来る連中だからこそ人間好きの度合いが強く、その集合頻度や人間らしさには先程の感謝同様に恐怖を抱く。特に、同一のポーズを集団で取って、それを写真に収めるというアクティビティをやっていっている様を見ると、壁を感じざるを得ない。否定しているわけではないが、僕は馴染めない。
ンイァーーーー‼️偶に、ごくたまに、他人の集合を見てると臓物がビニール袋に入ったものが電波音を相互に発信しているように見える。おかしいのは俺なんだろうか。
ネットの海にこの書き込みを流すので、この現象を確認した人間は今すぐ社会のために命を断絶してほしい。
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以上。最近目が悪くなってきてる気がする。
筋トレ以上に立体視に気持ちが向かない。キツいね、習慣づくりは。
あっっっっっっつい温泉行きたすぎる。45℃以上の都内の温泉情報を待っています。
膝壊してからザーメンが薄いよ〜ドラえも〜ん.........。
[終劇]
tweetするには長いやつ集
俺の雑記ってそういうノリなんですよね。
今回は長い、Twitterの頻度が落ちてここにストックしてたからね。
今期見てるアニメはシンギュラと86だけヂァわ。。。。。。
あとは細々と見てる。サンボルそろそろ見るか。
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①掃除と精神
現状、めちゃくちゃ部屋が綺麗だ。
大学2年まで本当に掃除をせず、部屋の隅にいつも埃が溜まっていたのだが、部屋トレをするようになってからほぼ毎日掃除するようになった。といってもドライシートでホコリを取るだけだが。
あの、全オタクに言いたいけど、埃がない部屋で生活した方が普通に良い。体調が崩れない。んで体調がいいと精神が上向きになる。精神が上向きになるとパフォーマンスが上がる。
部屋を掃除するようになってから本を読むスピードが上がって、それなりに難しい概念と対決できて、精液もたくさん出るようになった。部屋を掃除して空気清浄機をかけるだけでこんなにアドが大きい。
理論では分かっていてもなかなか腰が重いという人には、収納ボックスの購入をオススメする。積んでるものからホコリを取ってとにかく仕舞う。そうすればデイリーミッションのハードルが下がる。床と机と収納ボックスの天板だけ拭けばいいから。
とにかく部屋を掃除しろ。全てが上向きになる。
②比率思考
幼い頃から、絵を見て「美しい」と思うのは何故か?ということに執着していた。
絵を描ける子供は、言語化/理論化せずともそのメカニズムが感覚的に分かっていて、だから幼児期から絵が上手いし、一生上達する。兄がそうだった。というかデザイン系に行く人間は幼少期から絵が上手い奴が多い。
デザイン系の話をしたので分かった人もいるのではないだろうか。要は構図なのである。というか、比率だ。人間は比率、次に色彩で美しさを判定する。
冒頭の質問には、親はもちろん、兄も体験で行った画塾のお姉さんも、教師も答えてはくれず、結局高校時代にバウハウス関連を調べるまで明確な答えを得ることは出来なかった。
デザインが良いって何?という疑問は、大体ポスターについて考えればわかるヨウン‼️
参考図書を置いておきます。
まあ、シンプルな疑問を有耶無耶にせず突き詰めることは大事。発見したときの気持ち良さはたまらんので。
③ドラマ視聴
さりげなく地上波ドラマを数本観ている。言及しなくてもいいのでしていないが(アニメもそういう感じにしていきたい)。
「その女、ジルバ。」が内容・主題歌ともに結構良くて、割と気に入っている。というか山本彩は歌が上手い。内容にも触れると、8話のくじらママの台詞がめちゃくちゃ良いんだけど、正直Twitterで無限に言われているので俺が言うまでもない気がする。
大衆迎合なのであんまりドラマの話はしないが、しかしいい感じに見れるようになったので楽しみの幅が広がった。一番はドラマ制作は音楽面が優秀だというところにある。ムードが最高の状態になっていないと俳優・女優が映えないから、まあそういうところをしっかり作り込んでいる。アニメ以上に。アニメは視覚で不快感を大幅に削れるけど、実写はそうも行かないからね。
いろいろな作品に触れることで、「アニメでなければいけない理由」を見つける。オタクとして正しいアニメとの向き合い方だと勝手に思い込んで今日も今日とて再生ボタンを押す。
④ボードゲームとしてのサッカー
チェスでは、自陣の駒が取られた後に位置取った相手の駒を潰す、というのが結構重要になる。中盤以降は特にプロテクトが勝敗を分けるようだ。
これ、サッカーでも言えるな〜と思う。
サッカーで球を進める主な手段はパスだが、相手が密集している地帯を越えるときにはドリブル/ショートパスでジリジリと詰めていく必要がある。この場においては1:1または1:2または2:2で選手の振る舞いを考える必要があり、各自に対応したストラテジーを考えておく必要がある。
とかなんとか考えると、結局は事前に作戦を共有して、ゲーム内で微調整をするのが唯一であるように見えてきてしまう。それこそが理性的サッカーゲームの作法というものだ、とすら思える。
ダメだよ.........。そうじゃないよ.........。そんなんやったらチーム内で閉じちゃうじゃん.........。楽しくボールぼんぼこ蹴って膝擦りむいてギャハハ!!!wってしようよ.........。
どうするのがオタクとして正解だと思う?オタクとしての正解を求めるなよ。最近リフティング50回行ってワロタ。1回だけだけどな。
⑤我よ少年に帰れ
小学生の頃に厨二病全盛期だったので、悉く人々がやっていたことを馬鹿にしていた。それでも、今、逆にやった方が生活が安定することが3つくらい出てきたのでそれらについてモチモチと書いていこうと思う。
⑴書写
は?って思ったでしょう。私もです。
朝起きてシャワー浴びた後にストレッチして、これを10分だけやってます。
いや、やって効果出たんです。ちなみに断食期に始めたので歴はそこまで長くないです。
まあ単純にやるのも嫌だしお経も般若心経は原典派なので、俺は下のものを教材にして、同時に知識獲得をしています。
オタクにオススメなのはこれ。
⑵ラジオ体操
大衆だ〜wって思ったでしょ。俺も。
でもそれ逆に強みになるんです。だって周知だからやっても恥ずかしくないんだもん。
出先で自衛隊体操やったら頭がおかしい人だって思われるし、ガチの運動はもっとヤバいんですよ。そこでこいつ。全身ほぐれるし身体あったまるしすげ〜の。
まあでも価値に気づかなかったのはしょうがない。だって一定量筋肉がないと効果感じないもん。少なくとも腕立て伏せ20回で息上がらないくらいにならないと有り難みはわからない。
⑶ラベルシール
ハッキリ言うが、俺と同じくらい知能が低い人はシールを導入するべきだ。これは自分のことをADHDだのタツショだの思ってる連中にすぐやってほしい。
道具というより家具で、どの引き出しに何が収納されているかをラベリングしてしまうのだ。「服の箪笥だけ〜」とか甘えたこと言わず全部。全部だ。収納家具全部に。
一人暮らしなら冷蔵庫にホワイトボードつけて食材全部書き出してもいい。そのくらい徹底して場所とモノをリンクさせるべきだ。
そうすると無意識が大幅に失せて、居住空間をコントロール下に置けるのだ。ハッキリ言うが、そういうラベリングをしないと「テキトーに近かったから仕舞っちゃった」が発生するのだ。そういう人間はすぐ鍵やら財布やらスマホやらを失くしてアタフタする。
とにかく無意識を無くす。以上。
温故知新っていうのはあながち嘘ではない。逆張りによって喪失した効率化を今後もこうやって取り戻していきたい。
⑥背伸び
「あくまで等身大」とはよく言ったものだ。
ウチの親父も母親もよく小学生の頃から、背伸びをするな、自分に見合ったものだけをやれ、と俺によく言ってきた。
ガキンチョの頃はそういった注意をガン無視しては好き勝手やっていたが、人間関係政治の色合いが強くなっていくにつれて大人しくなっていき、中等教育最後の頃には「大それたことをやろうとする奴は馬鹿だ」とすら考えるトンデモ現状維持野郎になっていた。
今だから言える。背伸びはしないと成長が止まる。
まあ程度にもよるのだが、等身大を設定すると人間性の発展が止まってしまうのだ。それに加えて努力する動機付けが出来なくなるので、背伸びをすることで発展し続ける人間(以後セノビック)に対する共感が出来なくなり、社会的リンチの一員になるのだ。
そう、等身大思考は「虫」化のファーストステップと言えるものだ。
だからセノビックになるべく、今日も今日とて訳わかんねー本を読んでは訳わかんねーナリに調べたり頭を悩ませたりしている。取ったドイツ語の哲学の講義ヤバすぎる。草。黙って勉強するけど。
⑦デパ地下惣菜と創作料理
誰かが与えてくれるもので腹を満たしていると、気が付いたら趣味がそこにしか向かなくなっていく。その例えとしてお題のように言った。
お惣菜はそれなりに栄養計算されているらしいし、何より美味しい。そして一定額払えば苦労せずにある程度美味いものが食える。加えて、どのデパートも傾向が近いものが多く(サラダとか)、微妙な違いを感じて選び取ることもできる。これはサブカルで言えばソシャゲとか日常系アニメに近い。まあ合理的に作られていてすごいと思う。
しかし、それで満足が出来るのか?という話がある。マス受けするにはまず材料が一般的である必要があるので、料理だとモロヘイヤとかイノシシ肉は癖が強くてなかなか使えない。サブカルでも中東欧の戦乱などテーマがマニアック過ぎたり、演出がガチャガチャ過ぎたりするものはマス受けを狙うという前提で出来ることではない。
まあ世の中には満足出来ねー変態が一定の数いる。いるのだが、それを遥かに凌ぐ数の満足しちゃうように型に嵌められた民衆がいる。変態に厳しい世の中だ。
⑧ステイ フォーティーン
アニオタの大半は中学生からオタクを始める。小学生の頃からオタクだった奴も、瞬間最大速度を叩き出すのはなんだかんだ言って中学の頃だ。あの時期の「中二病モード」ほど素晴らしいものはない。
読者の皆さんの周りでアニメを見なくなった連中というのは、その「中二病モード」が使えなくなった、加齢による衰えが出始めた輩だ。まあ悪いことではないのだが、判断基準を「カッコいい/カッコよくない」で言えば、確実に「ない」となってしまう。
あの頃のジェットの源は何処にあったのか。まあ適当な仮説だが、「①体力(精力)/②無知」だと思う。無知だからこそ後先の計算をせず飛び込むし、体力があるからそのファーストステップを踏み込めるのではないか、と私は思う。
とにかく安住の地を探し終わった気になって"はんなり"してはいけないのだ。体力を鍛えて精力の衰退を食い止め、それを以って飢えながら徘徊せねばならない。
飢えろ。飢えろ。ステイ・フォーティーン。
↑〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜↑
最近はさまざまなことを「削る」重要性をヒシヒシと感じることが増えました。精神も肉体も削らなきゃ始まらないんですよね。
削れ。削って初めて見える世界を見ろ。
最近はお遊び抜きで異常者だということをかなり実感させられて苦しいです。皆さんはどうしてそんなに他人と関われるんですか?
終わり、俺がじゃなくてこの記事が。
犭の王.........ゥ!
実は4月からのアニメ履修計画を組んでいない、無免青空先生です。
2021年冬クール最高は闇芝居でした。次点はショバロ。
雑に思うことが意外にある。雑念が尽きないのは活力の証拠なんでしょうか。
それでは雑記です。
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・スポーツ観戦
僕が「エイペックス」という語を発するときは大体UFCの話だ。
オタク達のブームに乗っかってUKサッカーをモチモチ見るようにはなったが、そもそもの俺のスポーツ観戦は大体UFCとWWEのハイライト観戦、気が向いたらレッドブルTVでエクストリームスポーツを漁る程度だ。
戦局が動きやすくて戦略の出し入れが盛んなスポーツは観やすい。テニスやバスケ、フットサルがそんな感じか。しかし、サッカーは引き伸ばしが多く(ボールキープのため)、野球は時間が長い割に素人に分かりやすいファインプレーが少なく、アメフトはゲーム運びが塩っぱいときは異常に塩っぱい。やはり球技観戦には慣れというものが必要なのかもしれない。
ちなみに大体の動画は1.25倍速で見ている。正直、リアルタイムでエールディヴィジとか観てる人は凄いと思う。耐えられる?俺はもう厳しい。
・「お前それ面白いと思ってやってんの?」
幼稚園の頃から変わり者になりたくて、異常に作文を長く書いたり将来の夢も10個くらい並べたりした。そうやって人生初期に“ぶり”まくっていたら、いつの間にか修正不可なほど常識道を逸れてしまった。
そんな感じの人間なので、狙っていなくても手元が狂って変なことをしてしまうことがある。変なことをしているときは、2019あたりまでは他人のウケを結構気にしていたのだが、それでも僅かに天然で狂う瞬間があったりした。
そういうときに言われるのだ。
「お前それ面白いと思ってやってんの?」
今だからこそハッキリ言えるが、そういうこと言う奴はバビロン野郎なので適当にあしらうのが吉だ。
そうやって自分の物差しの中からはみ出ているモノを切り落とそうとするけど、あくまで「君の意思で自主的に切り落としてね?」と圧をかける感じ、これが非常に大衆野郎感がすごい。もう迎合っていうか融合。まるでチョウチンアンコウのオス。
俺は俺の中で面白い。逆に、自分にとって面白くないのにやっていることはビシバシ切り捨てるべきだ。そうすることでパフォーマンスが上がって、もっと純度の高い発狂が出来る。俺は俺のために俺の掌で踊る。はてブロもスタプラもツイも、所詮は衣装。俺のダンスホールは俺の脳内だ。
音取って踊れよ、余所見してちゃ楽しくないぞ。
・信じず食いちぎる
相も変わらず、濫読している。
経産研のフェロー投稿とかトポロジーの3Dグラフィックとかセネガルの演歌とか、なんかもう、オラ.........な感じだが、昔よりずっとやり易くなった気がする。
知識に「偉い」とか「価値がない」とか、そういった考え方を持って接するのは、あまり良くないと個人的には思う。基礎数学も、統計学のテキストも、ビジネス数学()も、満遍なく知れば良い。その上で取捨選択をするのは、各自の判断に依るのだから。
まあでも信仰してはいけない。教えを拝んで仏像を拝まず。そういうところは物理学ってしっかりしているなぁと思う、数学ならもっと。
・「そこに___居ない」
グリッドマンの最終回が嫌いだという話を僅かにしたことがある。いい作品ではあったが、しかしオチがアレでは(個人的に)なかなかに厳しいものがある。今でもアニメとしては嫌いだが、作品としては悪くないのではないかと思う。
アニメというものは、キャラクターが視聴者の隣に存在する可能性を1%でも残してはいけないものだ、と個人的に思っている。したがって、誰かがモデル(外見的なものならともかく内面の!)だったりすると、アニメとしては非常に険しいものになってしまう。だから筆者はトニーカーワーが大嫌いだ。めちゃくちゃめちゃくちゃ嫌い。
しかし、それも正直間違っているということは分かっているのだ。人間の芸術として間違っているのだ。誰かに寄り添うものを作る以上は、そういった受想行識的な実感だけでなく色的な実感がなければならないのかもしれない。庵野はそこに気付いたのでアニメから降りた。
だとすれば、それ以外の芸術は全て悪なのだろうか?
ウェルズは法螺吹きか?ディズニーはただのシャブ中か?円谷英二はキ○ガイか?
群馬の山中でラジオを弄ると稀に北朝鮮のラジオが聞こえるように、偶に「周波数が合う」人間はいる。そういった奇怪なアンテナを持った人間は確かに存在していて、用いれば「天才」にも「奇人」にもなり、まあ大半は奥底に閉じ込めてしまう。何故なら持たざる者と尺度を同じくせねば社会で生きていけないからである。
忘れないでほしい。この世には実体験に即さないイリュージョンが観える異常者がいる。そういった作品は確かに紛れ込んでいるのだ。ネトフリにも、ビデオ屋にも。
・断食
身体に悪いものが溜まらなくなったせいか、苦しみが薄くなった。
個人的には、痛みや苦しみに耐えるのは得意なので、断食は出来るものなら7日間はやりたい。それよりも優先するものがある故に仕方がなく短い日数になっているだけだが。
しかし断食は良い。汚れていれば汚れているほど苦しくなるからだ。思い返せば、2017の最後のあたりは本当に苦しかった。この世の終わりのような眩暈と頭痛と便秘が押し寄せた。ウエスト92の体重88kgデブには当然の報いなわけだが。
あれから随分経って今やったところで、体重はあまり落ちない。あまり栄養を断ちすぎると筋肉が痩せ細ってしまうので、そこそこの断食しか出来ない。順調に、水、そして生姜と胡椒をぶち込んだ蕎麦茶を飲んで下痢を出している。
まあしかし、まあ、断食期間の頭が締め付けられる感じはやはり素晴らしい。自分が悟りのない小僧であることを実感させられる。こういうときに読む経文や老荘などは最高だ。
ただ、断食には問題がある。アニメを見られないことだ。アニメを見ても「そうか😐」で終わってしまうからだ。断食をすることで意識も痩せ細る、即ち邪念が身を離れてくれるのである。
長期休暇が取れた際には、是非断食をしてみてほしい。
・口から生まれた男
会話する機会があると、一人でバ〜ッと喋ってしまう。その癖は幼少期についたもので、アピールせねば社会で美味しいポジションにつけないことを悟ったのか、自分のターンになった途端隙間なくオシャベリを埋めてしまう。キョロ充は話を途切れさせない。ウケもしないが。
だから相手の話を聞いても、なんか締めくくりが自分のターンになってしまう。そこに自己嫌悪を感じる。もっと相手に締め括ってもらうべきなのに、どうしてこうもって行きたがってしまうのか.........。
話の構成プログラムを組み直す必要がありそうだ。まあそれ以前に、微妙な感じで話が終わったときの無言空間に慣れた方が良いのだろうけども。
pqpqpqpqpqpqpqpqpqpqpqpqpqpqpqpqpq
3月は1回しかパイプを蒸していない、粘膜がヤバ過ぎて.........。
最近は狂うとき以外はコーヒーを控えるようになった。あの、ドリップでジリジリ淹れたコーヒーに、ウイスキーぶち込んで飲むの、アレがメチャクチャ狂える。あとリゲティ聴くの。ジャズならミンガスがいいね。何の話?
4月からは無水カフェインとランシューと氷嚢が大学のお供になると思うと、オラ.........。